『TOKYO未来世紀』再び

 富士は白雪、いい天気。倉庫でいくつもの段ボール箱に詰めてあった、味戸ケイコさん、『詩とメルヘン』関連の本を分別整理。これで終了。やれやれ。

 午後のひととき、友だちに誘われてお散歩。そして紅葉の始まった木々の落葉と木漏れ日が音楽のように美しいテラスでコーヒーを飲んだ。帰りがけに寄った雑貨店には蝋燭で灯るランプがあった。ジャック・プレヴェールの三行詩を思った。
《  ぼくがランプをもっていて
   きみがあかりをもっていた
   だれが燈心に火をつけた?   》

 昨日取りあげた多木浩二『ヌード写真』には、篠山紀信の「激写」への言及もある。

《 この「お友達」という発想が、かの篠山紀信の「激写」の発想に通じることは容易に理解できる。 》101-102頁

 『ヌード写真』を読んで、その刊行から二十日後に出た篠山紀信の『TOKYO未来世紀』小学館1992年初版へ連想が働いた。東京を背景に着衣モデルも女性のヌードもある写真集。モデルがいなければ、東京の物珍しい風景に過ぎない。が、そこにモデルが配置されると、ただの風景は俄然冷めた熱を帯びてくる。都市のクールな発熱。配置された女性のヌードからは、性的な欲望を惹起させる印象がほとんど消えている。グラマラスな美女が幾人も出ているのに。僅かな例以外は誰もクールな表情を見せている。ここでの女性のヌード写真は、未来世紀(二十一世紀)のヌード写真を予見しているのかもしれない。買いかぶりかな。

 裸女群像、老人と裸女という組み合わせの写真に、シュルレアリズムの画家ポール・デルヴォーを連想。デルヴォーもまた都市の笑わぬ美女と裸女群像を冷熱の筆致で延々と描いた。篠山紀信ポール・デルヴォーが、多木浩二の本で交錯した。それにしても……なんか引っかかるなあ……。そうか、未来世紀=未来性器。昨日の引用。

《 彼のヌードのなかでわれわれはまったく普通の身体の一部として性器を眼にすることになるだろう。 》

 ネットの見聞。

《 人間の認知やイマジネーションの及ぶ範囲には限界がある。だから単純化やモデル化を試みるのだろうが、複雑さそのものに問題の本質がある場合は、そういう頭の働かせ方が功を奏さない。 》 原研哉

《 「秘密保護法案」担当大臣答弁で取り消されたもの。
  「一般人は一切処罰対象にならない」→「処罰対象となる」
  「報道機関に家宅捜索に入ることはない」→「個別に判断する」
  「法案作成にかかわる政府文書は開示できる」→「検討する」
  当事者能力なし。こんな無責任質疑で強行などとんでもない。 》 志位和夫

 ネットの拾いもの。

《 栄養女子大でノロ食中毒ってのは、それもふくめた実習なのかな。 》

《 冷凍シーフーズでカレーを作ったんだが。パッケージの記述「インドネシア産・イカ、エビ」おお! 何の偽装もなく潔い。 》

《 今一番美しいと思う女性有名人については、1位が「井川遙」、2位が「綾瀬はるか」、3位が「北川景子」となり、10位までドラマやCMの顔となる女性が並んだ。 》

 書庫の奥から井川遙GUNZE BODY WILD 宣伝用ポスターを取り出す。紅い下着のこの眼差しがタマランなあ。以前、知人の洋服店から当然、タダでもらった。