『 アウトサイダー・アート入門 』

 椹木野衣アウトサイダー・アート入門』幻冬舎新書2015年初版を読んだ。これはいい。 言葉がガンガン頭脳に打ち込まれてくる、快く。今まで数多くの美術入門の類を読んできたが、 この本がもっともスリリングで興奮する。これはいい。過去をなぞるのではなく、過去を 問い直し、現在を問い、未来へ眼差しを向ける。美術〜アートを根源的に問い直し、再構築を 目指す。美術史の刷新、というよりも革命(懐かしい言葉だ)的構想か。

《 妥協なくアーティストでいるなら、どんなときでもおのれ自身に、そしておのれを取り巻く 社会にも、完全に受け入れられることはありえない。この点では私たちが日頃何気なく使っている 「アーティスト」ということばは、本質的には「アウトサイダー・アーティスト」の略称でさえ ありうる。アーティストがアーティストであろうと努めれば、すべからくアウトサイダーに ならざるをえないからだ。 》 228頁

《 もっといえば、私たちが一対一で真剣に対峙しなければならないアーティストは、 そのことごとくがアウトサイダー・アーティスト以外ではありえない。 》 227頁

《 アウトサイダー・アートの真の理解のためには、それを紹介する者ばかりか、見る者にもまた、 人の心性の奥底に隠された悪をめぐって、それと和解/容認するだけの決意なり覚悟なりが 必要である。 》 139頁

《 だが、すでに序章で書いたとおり、これに対して、アウトサイダー・アートとは単に 西洋=美術の「外縁」に位置づけられるだけの存在などでは決してなく、むしろ進んでその 「外部(アウトサイド)」から、西洋美術そのものが厳守してきた価値観の全面的転覆を もくろむ”来るべき”芸術に冠される名称であった。 》 76頁

《 アウトサイダー・アートには、従来の美術よりも、遥かに大きな射程を与えていかなければ ならない。そうでなければ、今ある美術が「外部」から異質な血を取り込むことで多少扱われ方が 変わったとしても、結局は従来どおりの内輪に留まることは避けられまい。私は、そうした既存の 制度の見直しや拡張だけではなく、既存のジャンルごと丸々再編成される新しい芸術の領域のことを 「後美術(ごびじゅつ)」と呼び、ゆくゆくは内と外を分ける「アウトサイダー」という形容も排して、 単に「アート」と呼ぶことを目指している。 》 48-49頁

 かんなみ仏の里美術館でのこどもたちの仏の絵の展示替えのお手伝い。モデルの仏像は同じなのに、 えらく違った印象なのが面白い。個性全面展開だ。

 ネットの見聞。

《 【深掘り】辺野古新基地:県、農水省の指示無効は想定内 》 沖縄タイムス
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150329-00000011-okinawat-oki

《 中古マンション買う時は足りてるか荒れてヤバい感じになってないかの「駐輪場」、 ヤバい車が停まってないかの「駐車場」、EVで放尿するなだの夜中に奇声は禁止だの ヤバい掲示があるかどうかの「掲示板」、私物が散乱してヤバい感じになってないかの 「共用廊下」で"ヤバい度"をチェックしましょう。 》

 ネットの拾いもの。

《 父と娘が画策し骨肉の争いという芝居を演じた謀略だったのかもしれない。
  このシナリオを通じて、「今の大塚家具は、昔と違って、
  気軽にショッピングできる店になってるよーん」と
  広くアピールしたわけである。
  これ、CMの費用に換算したらかなりの額になるはず。
  いやはや、あれこれと凝った演出だったし、よくもまあ、
  こんな手口まで思い付いたものだ。

  なるほど、家具屋だけに、引き出しが多い。 》