朝のNHKテレビで横浜黄金町の若手アーティストを何人か紹介していた。ここから何人が独り立ちするか、と語られた。制作品をちらっと見た限りでは、ふうんで終わった。最近は自称であれ、他称であれ、アーティストを言えばかっこいい、さしさわりがないという風潮。歳のせいか、なんか違和感がある。美術の世界は厳しい。生易しい業種ではない。制作品が売れるために誰もが四苦八苦している、とは限らない。伝統工芸品などは、まず伝統技術を習得する。絵画ならばデッサンを習得する。基礎技術を習得した後、作家への道を試みる。公募展で受賞しても作品が売れず、自称アーティストで終わる人のなんと多いことか。そしてほんの一握りの作家が、美術史に名を遺す。その美術史も、書かれた時代によって外される作家、忘れられる作家がいる。生前、美術界では知られた作家が、没後急速に忘れられる事例にことかかない。例えば木版画絵師の小原古邨。古くは伊藤若冲、河鍋暁斎。この三人は近年再発見、再評価されたが。
午後、彼女の勧めでスポーツ用品店で渋い青緑のデイ・バッグを購入。両手が自由に使えて重心が安定する。老人は無理しない。ショルダー・バッグよ、さようなら。
「密室における孤独な作業」(閑人亭日録)
『山崎方代全歌集』全歌集後記で玉城徹は書いている。
《 方代は、きわめて鋭敏な方法意識をもった、その点で、もっとも現代的な専門作者の一人であったと言ってよい。彼の制作は、それ故に、密室における孤独な作業であった。 》 498-499頁
このくだりは埴谷雄高に通じる。山崎方代と埴谷雄高では発表作品は、小説と短歌という文学形式が正反対といってよいし、その表現内容も両極端と言える。
《 それは、衰弱した自己意識が、小さな自分の空間に鎖じこもるといった閉塞感とは無縁である。 》 499頁
未完の長編小説『死霊』の読後に『山崎方代全歌集』を繙くことで、『死霊』の呪縛(?)からの開放を無意識に求めていたようだ。
「密室における孤独な作業」から北一明を想起。六年ほど前の拙文「備忘録・北一明」。
https://k-bijutukan.hatenablog.com/entry/20180124/p1
『山崎方代全歌集』再び・二(閑人亭日録)
昨日のつづき。付箋を貼った後半。
ようやく鍵穴に鍵をさし入れるこの暗がりのうらがなしさよ
なんとなく泣きたいような気持にて揚げ玉を袋につめてもらいぬ
こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり
無情とはかかわりもなくあんぐりと砂をつめたる貝ころがれり
踏みはずす板きれもなくおめおめと五十の坂をおりて行く
還暦の祝いの酒を買って来てひとりぽつんとかたむけており
みかん箱ふせたる上に絶望の箸と茶碗が並びおる
広辞苑辞書を枕に駆け巡る半偈の夢を見ることにする
ことことと雨戸を叩く春の音鍵をはずして入れてやりたり
そなたとは急須のようにしたしくてうき世はなべて嘘ばかりなり
欄外の人物として生きて来た 夏は酢蛸を召し上がれ
「欄外の人物」。これは効く。深く響いてくる。嘆き節ではない、ほろ苦い可笑しみ。諦念でも諦観でもない。いろいろあった。これからの生き方を思う。
「熾2018年10月号掲載 現代ストレス人に捧げる山崎方代の癒やし歌」が興味深い。
https://kouetsusaito.web.fc2.com/houdai.html
『山崎方代全歌集』再び(閑人亭日録)
本棚から『山崎方代全歌集』不識書院 一九九六年一月二〇日二刷を本棚から取り出す。いつ読んだか忘れてしまったが、前半の全歌集の頁には付箋が林立。そこを辿ってみる。
東洋の暗い夜明けの市に来て阿保陀羅経をとなえて歩く
茶碗の底に梅干の種二つ並びおるああこれが愛と云うものだ
かぎりなき雨の中なる一本の雨すら土を輝きて打つ
一枚の手鏡のなかにおれの孤独が落ちていた
ねむれない冬畳にしみじみとおのれの影を動かしてみる
かたわらの土瓶もすでに眠りおる淋しいことにけじめはないよ
遠い遠い空をうしろにブランコが一人の少女を待っておる
しみじみ心に沁みる。少女の短歌など、味戸ケイコさんの絵を想起させる。「おる」が効いている。
月例作業(閑人亭日録)
午前十時前、自転車を引いて源兵衛川中流部、水の苑緑地かわせみ橋へ。すでにお二人が待っている。事情を説明し、お二人にゴミ拾いを委ねる。見守る。一作業を終えて雑談。解散。荷台にゴミ袋を載せて自転車を引いて帰宅。乗るのもこわいが、バランスとるのにも一苦労。やっとこさ帰宅。ふう~。いつ体力が戻るやら。
自分のために(閑人亭日録)
病院へ。10時診療。先生との会話だけで、診察終了。一月後の予約をする。順調に回復しつつあるようだ。ほっ。
夕方、同行してくれた彼女が「もう、自分のためにお金を使いなさい」と言う。そうだな。自分のためにお金を使う。もう、そんな時期だろう。