『記憶と芸術』九(閑人亭日録)

 丸川哲史「戦前の記憶と戦後の生  太宰治における天皇・メディア」から。

《 これから述べることは、決して言葉遊びではない。すなわち、そのように始まった戦後民主主義なるものの複雑な曲折があり、そこで「人間宣言」ならぬ『人間失格』という題名の作品が書かれることになった、と筆者は考える。繰り返すが、天皇が自身は「人間になる」とは言ってなかったし、また事実としても「人間」にはならなかった。「象徴」という抽象的装置へと己を純化していったこと──このことによって、かつての「臣民」は、「国民」へと成長することができずに行き場を失った、とも言えるかもしれない。 》 371-372頁

《 明治以降、十五年と間隔を取らず戦争を重ねてきた日本は、その〈君主─臣民〉という動員装置を、ついに日本の民衆自らの手で解体することができず、うやむやの内に忘却(封印)してしまったかのようである。 》 373頁

 中村高朗・虎岩直子 編著『記憶と芸術 ラビリントスの谺』法政大学出版局2024年3月4日初版第1刷発行を読み終える。
 https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-41039-0.html

 午後、書斎の照明を電球から円型のLED照明に替える。壁の本棚が鮮明になる。活字や絵がはっきり見える。よかった。 百ワットの電球と併用して灯りの効果を楽しむ。

つりたくにこ続報(閑人亭日録)

 夕方、つりたくにこさんの夫高橋直行氏から電話。ポンピドゥー・センターの企画展は、マンガ月刊誌『ガロ』で活躍した五人の漫画家、阿部慎一、勝又進つげ義春林静一そしてつりたくにこの五人展。6月から11月まで長い展示になる。『ガロ』について。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AD_(%E9%9B%91%E8%AA%8C)
 1967年~1972年の『ガロ』や増刊号も展示しようかな。

 

ネットの見聞。
《 そして驚くべきことに、
  今年のフリーの表現は、昨年よりさらに重厚さや深遠さを増していた。

  昨年よりさらに「点数に評価されない次元」の高みへ向かおうとしていた。
  高難度ジャンプ偏重のフィギュアスケートではなく、
  フィギュアスケートの始原へ、
  フィギュアスケートの域を超えた始原の未知の表現の深みへと。

  またぜひとも情熱でたぎるような宇野昌磨の演技を見たい。 》 福山知佐子「宇野昌磨 フィギュア世界選手権2024」
  http://chitaneko.cocolog-nifty.com/blog/2024/03/post-092150.html

「つりたくにこ展」再び(閑人亭日録)

 来年六月、「マンガ家つりたくにこ没後40年、つりたくにこ展」を開催する企画を立ち上げる。故つりたくにこさんの夫、高橋直行氏から返事のメール。

《 いいですね。今年5月から11月迄ポンピドゥーで原画五点が展示され、来年三島の画廊で引き続き観てもらえる機会をつくって戴ける。嬉しい企画です。よろしくお願いします。 》

 2010年、「没後25年 つりたくにこ展」をK美術館で開催。15年後、彼女の命日六月十四日に合わせて近所のギャラリーで行う。
 「没後40年 つりたくにこ展」 2025年6月11日(水)~6月16日(月) ギャラリー Via701
 https://via701.com/
 平野雅彦さんの2010年のブログから。
 http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/1388.html
 日本および海外で出版された作品集。
 https://www.amazon.com/Books-Kuniko-Tsurita/s?rh=n%3A283155%2Cp_27%3AKuniko+Tsurita

『記憶と芸術』八(閑人亭日録)

 虎岩直子「W・Bイェイツとヒューマス・ヒーニーをめぐる記憶」結び近く。

《 空っぽで自由だからまた別のものと繋(つな)がっていく。「記憶」とは刻々と変化していく現在生きる個人あるいは共同体が保持している過去(であるから記憶の形も刻々と変化しているのであるが)のイメージであり、「希望」とはやはり刻々と変化している現在の個人あるいは共同体にとっての「未来」についての肯定的な期待である。(引用者・略)芸術家は過去のあるイメージに触発されて、「芸術」という形をつくって未来の読者にはたらきかける。(引用者・略)しかし、「記憶」は「芸術」となるとき、個人的連環あるいは共同体の追悼から外れて「エンブレム」となることを目指す。 》 314-315頁

 ネットの見聞。

《 防衛費の半分を占める「兵器ローン」 ますます借金しやすくする法が成立、防衛費全体が膨れ上がる恐れ 》 東京新聞
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/317949

『記憶と芸術』七(閑人亭日録)

 高遠弘美「「引用的人間」の記憶について」から。

《 言い古された言葉のようだが、「美しい」という要素は詩文を暗記するうえで最終的にして決定的な要素であるような気がする。 》 268頁

《 あまたの藝術作品をただ死蔵せるがごとくしまっておくのではなく、ここぞというときに目の前に出してくる。 》 274頁

《 まさに、中野(宏昭)の批判する「集めるだけで真剣に聴く機会を持たなくなるコレクター」に堕するところだった。 》 283頁

《 記憶の内に取り込み、それを安易に「再生」するのではなくて、自らの人生の「経験」として生の時間と結びつけること。 》 285頁

『記憶と芸術』六(閑人亭日録)

 進藤幸代「ハワイ・ポノイを歌うこと」結び。

 《 日本人に人気のあるホノルルマラソンにのコースには、ハワイアンが失った土地とハワイアンにとっての聖地が含まれ、外国資本のホテルが立ち並び、スタート地点ではハワイ・ポノイも歌われる。いわばハワイアンにとってホノルルマラソンは、自分たちが失ったものを象徴するイベントなのである。 》 211頁

 萩原朔美「意味を逃れる」から。

《 思い出というものはない。思い出すという行為があるだけだ。 》 221頁

《 数ヶ月前、誰の著作だか忘れてしまったが、「すぐれた学説、力ある学説は、全てその起源に、詩的直感をもつ」という文章に出会った。ビックリした。論文の世界にも韻文の要素が必要なのだ。詩という、意味から自由に飛翔した言葉を、学説のなか中にも潜ませる。それはきっと論理によって伝わる文字列ではなく、感性を刺激し心に伝わる論文なのだろう。 》 223頁

『記憶と芸術』五(閑人亭日録)

 水沢勉「+記録/+記憶」から中村信夫「現代美術の展望」の一文。

《 従来優れた作品とは、安定し、強固で、物質的であると信じられていたが、今日それらは実際には本質的にもろいものであるということに我々は注目し始めている。 》 77頁

 昨日、故つりたくにこさんの第二冊目の作品集出版をお知らせした平野雅彦さんから返事のメール。

  《 ご連絡ありがとうございました。
  つりた作品は、外国人だからこそ発見できる世界があるんでしょうね。
  フランスの出版界は、すごいですね。
  日本の漫画で、今、カバーや表紙にお金を掛けられる漫画家って、
  限られていますね。
  ましてや過去の作品となると、更に限られます。 》
 https://www.amazon.com/Books-Kuniko-Tsurita/s?rh=n%3A283155%2Cp_27%3AKuniko+Tsurita
 平野さんの2010年のブログから。
 http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/1388.html

 『松岡正剛の千夜千冊』、「1845夜 エラ・フランシス・サンダース『翻訳できない世界のことば』創元社2016年」が興味深い。
 https://1000ya.isis.ne.jp/1845.html