浮世絵~マンガ~アニメ(閑人亭日録)

 江戸時代の狩野派といった政治権力の傘下にあった美術の正統に対し、権力に阿(おもね)ることのない浮世絵版画が庶民の人気を集めた。明治以降、文部省の傘下にある文展が美術の正統に。それに対して庶民相手の風刺画、口絵・挿絵といった木版画印刷が一般の目にふれた。第二次世界大戦以降は日展が美術の正統、主流と目されてきた。それに対抗して独立美術協会などいくつもの美術団体が誕生した。簡単にいえばこんな流れかな。そして戦後の復興を経て庶民の漫画~劇画の静止画からアニメーション動画が興隆。日本のアニメ―ションが世界を席巻する今世紀、という図が見えてくる。日本美術の正統、主流の作品は見えてこない。
 政府権力と美術界の権威のお墨付きを得た美術作品とは異なる庶民、平民の身近な美術作品。二つの相容れない美術があるように思うが、日本美術の歴史は、権力の庇護下にあるご立派な美術品を主流に歴史的正統性を重んじて綴られてきたように私には思える。正統な美術作品も、埒外の庶民の浮世絵も、明治維新以降海外にその多くの名品が流出した。そんな事態を嘆くのではない。なぜ国内の所有者はその美術価値を軽んじていたのか。あるいは古い美術作品に無知無関心だった、ということか。海外に流出したからこそ、今も大切に遺されている。僥倖と言うべきだろう。
 そして戦後の漫画、劇画そしてアニメーション。一般の間で人気と隆盛を誇るこの分野の作品は、その美術価値は無論のこと、大衆受けをねらった俗な商品だと、官民ともども大多数の人から見なされている。いわゆるレッテル貼り。安っぽい、俗受けというレッテルをいったん貼られると、そのレッテルに惑わされてしまう多くの日本人。レッテルを剥がし、作品そのものを自分の肉眼(審美眼)で鑑賞することがない。権威のお墨付きのある美術作品を誉めていれば間違いない、恥をかかないで済むという保身術だろうか。
 また、人気のある話題の商品(作品)に飛びつく。それが一時的な人気であっても、その人気の只中にいる「私は流行の最先端にいる」という陶酔感。けれども流行は去る。商品は忘れられる。そして時は流れ、やがて時代(風潮)が変わる。長い眠りを経て優れた商品(作品)だけが再発見され、昔とは異なった視点から新たな価値が発見される。名品誕生(復活)。以上、ざらっと書いた粗雑なメモ。