静寂の美

 開館前に沼津市の画廊ほさかでの上松和夫彫刻展を観にいく。美術館へ戻り床をお掃除。テケパパたちがライヴで使った器材等を搬出に来る。とても面白かった、思いっきりできましたと。そりゃそうだろうなあ、午後十一時半まで延々と演奏したんだから。ガランとした室内は美しい静寂に戻った。その静寂は祭りの後の虚脱空間のそれではなく、これから何かが始まる予感を秘めた静寂。競技のスタート前の静寂に通じる。

 毎日新聞昨夕刊、特集「人生は夕方から楽しくなる」は「『路地裏』のエコノミスト 竹内宏」。1930年生まれの彼は言う。

「高度成長の日本は、やっぱり思春期でしたね。大人に追いつくことに必死になっていた。70年代半ばになって、その気概がなくなり、逆に考えがセコくなった気がします。80年代以降は、今度は身も心も市場経済に染まって、米国のマネをしようと懸命になりました。やっと英語が理解できるようになっただけのところで、いま世界的に米国化に対する反省が出てきています。いったい日本は何をしてきたのでしょうね」

 懸命にはなっても賢明にはならない日本。そう慨嘆するのは、彼が経済の中枢にいたからだろう。私のような地方小都市の個人経営の食べ物屋にはまるで縁遠い中央経済だった。大企業人らの言動に常に違和感を感じていた。さまざまな違和感への自分なりの解消の筋道のためのK美術館だ。

 午後は来館者の合間をみて壁の穴(ピンホール)ふさぎ。小さな穴をまあいいや、で見逃すと、後でえらいことになる。虱潰しって感じだけれど、そういえばシラミ、まともに見たことないなあ。