『明治維新』四

 井上清『日本の歴史20 明治維新中央公論社1980年48刷を少し読んだ。

《 西郷・板垣らの征韓論は、このように陸海軍の当局すらなんら討議に関係せず、もっぱら参議とその腹心の部下らの間だけで画策されたということ自体のなかに、 このときの征韓論の秘密を解く鍵がある。その秘密を一言でいえば、明治六年の征韓論は対朝鮮政策という点に主眼があったのではなく、日本国内の権力を だれがにぎるか、西郷ら反閣僚派がにぎるか、それとも岩倉・木戸・大久保ら官僚派がにぎるかの権力闘争だったのである。 》 「征韓論」333-334頁

《 明治五、六年の当時、横浜在留の英人は日本の征韓をさかんに扇動した。五年三月、横浜の『ヘラルド新聞』は、朝鮮の日本人にたいする「無理非道ナル扱イ」 というデマ記事をのせ、それを『東京日々新聞』が転載している。 》 「征韓論」338頁

《 西郷は八月十六日、三条に、「内乱を冀(こいねが)う心を外に移して国を興すの遠略は勿論」と説いているが、これを文字どおりに受け取るのが、 かれらの征韓論を対外政策としての目的をもっとも正しく理解することになる。ただし「国を興す」のに、朝鮮を征服してそれからどうするか、国際関係全般の なかでこの「興国」がどんな役割をしめるのか、そういうことは征韓論者はだれも具体的には考えていない。それというのも、かれらの征韓論の主眼は対外策として よりも対内策に重点があったから。そしてその対内策こそ、明治六年十月の政変を不可避とするものであった。 》 「征韓論」339頁

《 征韓論争はたんなる対外策をめぐる対立ではなかった。それは廃藩置県後の日本の進路にかんする二つのコースの対立の集中点であった。西郷的コースか 大久保的コースか、士族独裁か官僚独裁か、これはとうてい両立できず、明治六年から秋にかけて、両者の全面的な激突はさけがたくなった。 》  「明治六年十月の政変」 355頁

《 明治六年十月の政変は、大久保を先頭とする中央集権官僚制の全面的な勝利に終わった。 》 「明治六年十月の政変」 368頁

 昔も今も権力争いは醜い。

 曇り空。工藤直子さんから恵まれた詩集『のはらうた II 』童話屋1985年初版を開く。折り込まれた紙片には”越沼さんに かぶとてつおのうた ささげます”。

《   けっしん   かぶとてつお

   つよく
   おおしく
   いきる!
   それが ぼくのけっしんです

   でも ときどき
   むねの やわらかいところが
   なきたくなるのね
     ・・・・・・
   なんでかなあ   》

 午後、買いものに出がけに知人女性の犬の散歩に遭遇。飼い主の知人女性は急病で入院中。彼女が代わりに。寂しがり屋のこの犬は、普段なら近寄っても そっぽを向いているが、きょうは撫で撫でされるとすり寄ってくる。寂しいんだなあ。でも、もうすぐ元気に戻ってくるよ。
 知人女性からきょう届いた絵葉書には”あれから2ヶ月半、悲しみに暮れる暇もなく、”。みな、なんとか生きている。

 ネット、いろいろ。

《 母の死 》 福山知佐子
 http://chitaneko.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/index.html#entry-116455402

 右側上の壁には、個展で購入した彼女の小品が掛かっている。福山さんは味戸ケイコさんの絵を好きで、K美術館に東京から見に来られた。

《 アンジェリーナ・ジョーダン 》 ネットゲリラ
 http://my.shadowcity.jp/2017/10/post-11909.html

 驚愕。

《 新潟県上越市で竜巻のたまご“ろうと雲”が発生 》 weathernews
 https://weathernews.jp/s/topics/201709/300165/

《 遊園地には、えもいわれぬ不気味さがある。遊園地とは、偽物で埋め尽くされた場所である。だからこそ、どこかに本物が混ざっているのではないか という不安を抱いてしまうのだろう。 》 gnsi_ismr
 https://twitter.com/gnsi_ismr/status/914620805668941824

《 日本会議検定三級
  漢字の誤りがあれば直しなさい。
  「主犯指名を受けた規模右の党の小池党首は記者改憲に臨んだ」 》 猟奇の鉄人
 https://twitter.com/kashibaTIM/status/914281837714751489