『道元の言語宇宙』四

 寺田透道元の言語宇宙』岩波書店1974年初版、「V 道元における分裂 」を読む。多岐にわたって深い考察がなされ、追いつくのがやっと。いや、 置いてけぼりの感がある。が、それにしてもじつに面白い。知的興奮。『正法眼蔵』の原文を手に読むとさらに面白いだろうが、そこまでは。ま、95巻本をじっくり 読んでいてよかった。まだ続く。

《 あえて言えば、非出家のわれわれは、そこで論ぜられているような空間と完全に一致する時間、撥無された時間、一個の空間の中の「経歴」としてのみ生動する 時間からは排除されている存在だと言わねばならぬ一面を持つ。 》 170頁

《 この件りに述べられているのは、師資の相承はつねに釈迦牟尼仏と大迦葉のあいだに起った拈華・微笑の証悟相契の形で行われているのであり、そのときつねに師は 釈迦牟尼仏に他ならず、資の証悟に契えば、釈迦牟尼仏の存在において時は当然撥無され、無時間的歴史が成立し、時を超えた仏教的共同体が成立するという考えである。  》 173頁

 四日の日録で《 その資明全に従って 》の「資」は師の誤字としたが、《 師資の相承 》を見ると、「資」でいいののかな、と迷う。

《 ──ということは、経歴をしないような時は時ではなく、それは生動してやまぬものであり、しかも物体の運動の如く、一地点から他の地点へという一方向的移動を なすのではなく、いわば可逆的である。物体が元の場所にもどるためには新しい時間が必要であり、それは位置を恢復させはしても、時間を恢復しえず、要するに それが行うのは新たな運動だが、道元における時、存在する時は、存在しつつ過去にも戻れれば、未来にも行けるし、同時のうちへ入ることもできて、比喩的に言えば 時を消費することがない。 》 174頁

《 終末の破滅に向って一方向的に運動する時を考える思考様式と不可分な末法思想を、これほど激しくはねかえす時間軸があるだろうか。 》 179頁

《 あとの文句の最後の一句は、一見法の実体的存立を容認するようだが、それはそうでなく、こう書くことによって、道元は仏の実体化されることをしりぞけ、 その代りに非実体的な法がその純粋活動によっておのれの存在を立証するという動詞的世界の自立を断言乃至希求しているのだと僕は考える。 》 189頁

《 われわれの本文による道元は、遙に言葉と表現に対して意識的な精神として、雄弁でありながら、一々自分の用語にひきとめられることを避けられず、それに吟味を 加える結果、意識される表現上の危難から自分を救うためでもあるかのように、用いる文字が中国文字であることから主として来る語の多義性を活用して、それによって 表現を魔術的でありつつ精確なものにする道を打開しようとしていることが鮮明に見てとれる。 》 212頁

《 「まことに小量の一辺はしかのごとくも参学すべしといへども[──この道元の解釈は相当に悪意ある曲解だと言えよう]、 》 214頁

 かような一言が愉快。一服の清涼剤。

《 こういう世界像のしかしながら不断に生動して固定しないための契機として、「刹那」の観念は導入されるのだ、と言ってよかろう。それはちょうど、全空間と 合同のものと措定される時が生動してやまず、かして死物にはならないものであるために導入された「経歴」の観念が持つのと同等同様の役割を荷わされていると 言える。 》 234頁

《  だがこの場合因果の管理者は誰か。如来もそうでないことを仏本行集経はくりかえし語っている。如来たちも不落因果ではないのだ。では誰か。
  それは無以外にはない。だからこそ、如来至聖者たるべく修行する道元と、如来の教えを説き、それにもとづいて発願する道元との分裂が起る。かれにとって 頼るべき至高者はなく、分裂を処理してくれるものはいないのだ、当人を除いては。 》 245頁

 朝、昨日の引用、数箇所の誤記を訂正。一晩経ってみると気づく。
 今朝の三島測候所の最低気温は28.2℃。28℃設定で涼しいんだから、冷房がなかったら寝てはいられないわあ。広島原爆忌。合掌。
 お昼十二時五七分35.3℃。その時洗濯物を取り込んでいた。熱熱熱、汗汗汗。で、昼寝。
 午後三時34.1℃。部屋(当然冷房28℃)で熱いコーヒーを飲む。旨い。猛暑のモロッコでは熱いコーヒーを飲む、を思い出して。
 夜八時過ぎ、雷雨。
 ネット、いろいろ。

《 こう言うのもいい。こういう二重性を矛盾の重層として見るのではなく、スケールフリー性においてむしろ解放の文脈とともに考えること。。 「見性することが見性である」と言った大拙や、「すべて迦微は体言である」と言った宣長が思い起こされる。。 》 清水高志
 https://twitter.com/omnivalence/status/1026091853781684224

 道元の思想に通じる。

《 解説を担当しました服部まゆみ『罪深き緑の夏』復活です。河出文庫から!自身も銅版画家だった服部まゆみならではの、芸術に深く耽り、 抉っていく物語です。一部ちら見せ的にあげてみましたが、解説では特にその方面から書いております。よろしくどうぞ! 》 深緑野分
 https://twitter.com/fukamidori6/status/1025988527840944128

 1988年刊の単行本で当時読んだ。1991年刊の角川文庫の解説は仁賀克雄(じんか かつお)。小泉喜美子につづいての復活(復刊)。いい夏だ。

《  この酷暑でも、電力は足りている。
  これは放射線量が高くて人が住めなくなってしまった地域。
  日本は原発のためにこれだけの国土を失った。
  にもかかわらず、安倍政権は再稼働を推進し、
  原発輸出をアベノミクスの目玉と自画自賛
  これを「反日行為」と呼ばずして何と呼ぶ。 》 盛田隆二
 https://twitter.com/product1954/status/1025971686686973953

《 空調の効いた地下街とか、ショッピングモールの中だけ辿って42.195kmになるルートないかな。都内に。世界初の地下マラソンにしたらどうかな。。 》  Hajime Ishikawa
 https://twitter.com/hajimebs/status/1025270204081700864

《 スーパー避暑 》 時事通信国際ニュース
 https://www.jiji.com/jc/p?id=20180806095256-0027869334