『道元の言語宇宙』ニ

 寺田透道元の言語宇宙』岩波書店1974年初版、「II 正法眼蔵透脱以後」を読む。じつに手の込んだ文章。

《 そう考えると、何が何の主体、何が何の客体ということをかわらぬ固定的な関係と考えてはならぬ、絶対主義、絶対客体というようなことはなく、あるときは、 あるときの主体が使役され、あるときはあるときの客体が主体となるという思想が、漸近的にあきらかにされて来、しかも、それが完璧な表現をえて硬化、形骸化する 一歩手前でなおも運動の気配を残しつつそれを読む人間の意識において終止するものとされた形と、この表現は、見做しうるだろう。 》 39頁

《  こういう表現を行いえたひととしての道元の幻像をやぶって、それを下から支えている実践的なものがなんだったかを、僕自身にはっきり飲みこませるためには、 道元を単に詩的にではなく、倫理的に読むためには、この長いばかりか批判がましくさえあった、しかし祖師たちの教えてくれたやり方と満更無関係ではない遍歴が 必要だったのだ、と言ったら勝手すぎるだろうか。
  ともあれこの行持(ぎょうじ)を、さらにその下で支えているものは何だったか。──禅的な意志であることはすでに言ったが、それをさらに下で支えているものは。 ──それは無常迅速、生死事大、の実感ではなかろうかということが、『正法眼蔵』をくりかえし翻読するうちに次第につよく感ぜられて来る。 》 53-54頁

《 時が全一なる空間と一致して、西洋の文法概念をかりれば、非人称主格を構成しつつ、しかもその主格のもとに、春が夏になる、秋が冬になるとは言わず、 ただ夏になる、冬になる、またどこからと問われることもなく、春が来た、冬が来たと言われて、その流動性を保たしめられ、固定的な出発・帰着点を持たぬ、 融通無碍な運動を営むとされたのと全く同様に、生死もその全一存在と合致したありようを保ちつつ「経歴」する、と考えられるべきであって、これが結局存在そのもの の存在しかたなのだ。 》 57頁

《 しかもこの意図の現実化は道元の思想体系においては、不可能ではなかったのだ。なぜならそこではすべてが全機関の現成であり、一切同参のものである一方で、 行持は道環し、道元の行持が仏祖の行持によって可能にされると同時に、仏祖の行持も、すなわちその存立そのものも現実化されるものだったからである。  》 61-62頁

 この章(37頁)で引用されている道元正法眼蔵 「第三 現成公案」』の一文。

《 魚の水を行に、ゆけども水のきわなく、鳥そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし。 》

 に、ふと加藤郁乎の俳句”本當か判つてたまるか鳥渡る”を連想。『出イクヤ記』天眼社1974年収録。この句集には他に”はんざきがはんざきでゐる言語島かな” ”大過去やなんの花野や叫ばむず”など、当時は気づかなかったが、どこかしら『正法眼蔵』とのつながりを感じさせる句がある。

 「III 短章二篇」を読んだ。

《  僕にとって『正法眼蔵』の思想のうち一番魅力があるのは、この世界のすべてのものはすべて同時に現実化されているのであって、それも現在あるものについて 言えるばかりでなく一切の時間の中の存在が同じようにすべて隠れることなくわれわれの前に現れている、とする思想である。この場合道元の表現は実に巧みに且つ 強く、他でもない道元自身がそのすべての外にいるのではなく、その中に入っているということを分からせるように出来ている。
  ではその表現までがその中に入ってしまっているかというと、それでは表現とはならないわけで、これは別である。比喩的に言うと、その表現によって道元は、 それ以外には存在というものはない全一な存在のうちに自分を組み入れ、あえて言えば自分を非在と化し、その表現だけが存在として自分の背後に残るように 図っていると言うべきだろう。 》 65頁

 マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』講談社2018年を再読したくなる。

《 それを庶期さえしていながら、 》 66頁

 昨日指摘したが、庶幾の誤記だろう。机上の漢和大辞典には”庶幾=希望する”とある。

《 だからこそ、その資明全に従って入宋問法する仕儀ともなったのだろうが、 》 67頁

 資は師の誤字。問法は聞法だろう。いや、道元に倣って書き換えたか。

《 ごく小さい例だが、『眼蔵』には現在普通「悉皆」の意に用いられているそれとは用法の「あらゆる」がしょっ中出て来る。それは「言わゆる」などと同じ成立ちの 言葉で、「あるところの」意である。 》 68頁

《 読み馴れていてもつまづくのが当然のこの「所有」は、これも「あるところ」と解すべき語であり、それに支えられた前後の無理な語法は、実は、存在一般について ひとり時早く心を労した道元の表現に特徴的なねじれなのである。 》 74頁

 それにしても、暑い。正午過ぎ36.0℃。昼ごはんの時だ。扇風機だけで、それにしては食ったなあ。

 ネット、いろいろ。

《  「仮に2時間繰り上げる夏時間を導入すれば、午前7時スタートのマラソンは、現在の時間で午前5時開始となり、涼しい中でのレースが期待される」
  じゃあ朝5時スタートにしろよなんで一運動会のために日本人全員が2時間の早起きを強いられなきゃなんねーんだアホか 》 Simon_Sin
  https://twitter.com/Simon_Sin/status/1025245348774567937

《 サマータイムで2時間繰り上げなんて姑息なことを言いだすなら、いっそオリンピックだけ旧暦で開催したらどうか。そうすれば開会式を9月11日に持っていけるし、 あとは日本の伝統では今日が7月24日です、と口裏を合わせて言い張ればいい。「伝統」大好きなんだしさ。 》 藤原編集室
 https://twitter.com/fujiwara_ed/status/1025326661007331330

《 学力テスト、最下位だって別にいいじゃん。それよりも、市長のオツムの方が最下位じゃん。 》 池田清彦
 https://twitter.com/IkedaKiyohiko/status/1025385125599567872

《  (人生においてこの4つのコストをカットすることで大幅に節約できる)
  「アニメ」
  「特撮」
  「オモチャ」
  「ゲーム」
  うるせえ! そっちが人生なんだよ! 》 ゾルゲ市蔵
 https://twitter.com/zolge1/status/1025202418483515393

《 おれの心は海よりも広く醤油皿くらい浅い。 》 へるスィー
 https://twitter.com/i_have_a_health/status/1025353234624311297