「忘却 発見 つりたくにこ」(閑人亭日録)

 海外で再評価されても、日本ではすぐには話題にならない作家もいる。と昨日書いたが、例えばマンガ家の故つりたくにこさん。海外で発見され、イタリア、カナダ(英語版)、スイス(フランス語版)そしてブラジルから厚い作品集が出版され、今年はスペインからも出版される。さらにフランス語版の続編も出版予定。すべて海外の出版社からの申し出。一般には知られていないからか、日本では話題にもならない。パリ五輪に合わせるように、ポンピドゥー・センターでマンガ展が開催される。つりたくにこさんのマンガ『ぼくの妻はアクロバットをしている』の始めの五ページの原画が展示される予定。海外では初の原画展示。先年はホノルル美術館で展示予定が、コロナ禍で中止になった。これが海外初展示。どんな反響があるか。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%8F%E3%81%AB%E3%81%93
 1967年だったか、噂の月刊マンガ雑誌『ガロ』青林堂を近所の店で見つけ、購入。それから五年余り、毎月購入していた。白土三平水木しげるつげ義春らの人気作家と同様に、つりたくにこさんのスッ飛んだマンガに大いに注目した。
 歳月は過ぎ、『ガロ』の編集者、執筆者も変わり、つりたさんの載った号しか買わなくなった。1980年頃だったか、つりたさんが闘病中であることを編集後記か何かで知った。多分、始めは編集部気付でファンレターを出したと思う。そしていつしか京都深草のご住所へ郵送するようになった。返事などは期待せず、ただ手紙を出し続けた。一度、日帰りで深草のお宅へお見舞いに訪問した。お昼をごちそうになった。いつだったか、当時の日記を見ればわかる。返事のないまま一年以上が経った年末の夜、近くの駐車場に夫の高橋直行氏が来られた。助手席には猫がいた。はっと気づいた。やはり、そうだった。つりたくにこさんは去年の六月に亡くなっていた。夜空を仰いだ。亡くなったお知らせをすることができず、越沼君から届いた手紙は、くにこの仏前に供えました、とかすかに聞いた。以来、東京豊島区のご自宅に居住する高橋氏と親交を結んでいる。
 2010年11月9日(火)~12月26日(日)、K美術館で没後25年「『ガロ』の星 マンガ家つりたくにこ展」を開催。
 静岡大学で教えている平野雅彦氏が静岡市から来訪し、沼津市のデザイナー、内野まゆみさんと共に展示に尽力してくれた。ありがたかった。
 http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/1388.html
 来日していたアメリカ人研究者が、つりたくにこさんの肉筆文を見たがっていたが、高橋氏は、くにこは闘病中にマンガ原稿以外は密かに処分してしまったようで何も残っていない、と寂しそうに話した。私は答えた。ありますよ。つりたさんからのお手紙が、と。葉書、手紙が九通手元にあった。カラー・コピーを送った。大いに喜ばれた。高橋氏は「くにこのファンは、私と越沼君だけです」と。

 午後、源兵衛川中流、三石神社横で石垣のヒメツルソバを抜き、茶碗のカケラ、ゴミなどを拾う。重くなって終了。帰宅。汗。