「忘却 復活 伊藤若冲」(閑人亭日録)

 伊藤若冲は、明治の末期(二十世紀初頭)には美術界では正当に評価されていた。そのことは、審美書院『日本名畫百選』明治39(1906)年に収録されていることでもわかる。夏目漱石草枕』明治39(1906)年には。

《 横を向く。床にかかっている若冲の鶴の図が目につく。これは商売柄だけに、部屋に這入った時、既に逸品と認めた。若冲の図は大抵精緻な彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼ねなしの一筆がきで、一本すらりと立った上に、卵形(たまごなり)の胴がふわっと乗かっている様子は、甚だ吾意を得て、長い嘴(はし)のさきまでこもっている。 》 新潮文庫 昭和六十三年二月十五日八十六刷 31頁

 そしていつしか忘れられ・・・半世紀が過ぎ、1970年代になってやっと注目されてきたと聞く。その辺のことは私にはわからないが、『原色日本の美術 18 南画と写生画』小学館昭和44(1969)年2月20日初版発行には伊藤若冲の絵が七点、うち三点が原色版。一般には忘れられていたということだろう。
 同様のことが明治前半に活躍した河鍋暁斎にも言える。第二次大戦までは知られた画家だったが、戦後急速に忘れられた、と記念館を営む遺族が嘆いた記事を読んだ記憶。それが海外で注目、評価されて日本でも注目、再評価された。
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