「忘却? 復活? 味戸ケイコ」(閑人亭日録)

 『日本美術全集 19 戦後~一九九五 拡張する戦後美術』小学館 二〇一五年八月三十日 初版第一刷発行、収録「150 雑誌『終末から』表紙絵』味戸ケイコ」解説・椹木野衣から。

《 味戸(あじと)ケイコ(一九四三~)の名は知らなくても、一九七〇年代に思春期を過ごした読者の方なら、その絵はどこかで見覚えがあるのではないか。それぐらい味戸のイラストは、一九七〇年代の半ばごろから八〇年代初めにかけて一世を風靡した。(引用者・略)しかし、一九八〇年代も半ばとなり、バブル前夜の楽天的な気運がそんな陰りを一掃してしまうと、気づかぬうちに、いつのまにか見かけなくなっていた。けれども味戸の絵は深く人々の心に沈み、決して消えることはなかった。それどころか、こうしてあらためて見たとき、味戸の絵は、いま一度その役割を取り戻しつつあるように思える。ただし、かつてのような印刷のためのイラスト=版下(はんした)ではなく、観る者の心を打つ一枚ごとの素描として。 》

《 もとが版下として描かれたゆえ、用を終えると所在が不明になりがちなこの味戸の原画は、幸い静岡県在住の所蔵家の目に留まり、その多くが大切に保存され、未来に発見されるまでの、決して短くはない時の眠りについている。 》 273頁

 私のことを所蔵家と呼んでいる。スゴイね。ジジイの一市民だけどね。この出版からもう十年近くが過ぎている。味戸さんは今年も新作の企画展が控えている。根強いファンがいるのだ、私以外にも。忘却でも復活でもない稀有な事例だ。それはおいて。老いた私は、味戸さんの絵の行く先を考えている。私は老いたが、味戸さんの絵は古びない。時を超え新たな光を受けて、また異なった表情で魅せるだろう。そう、優れた作品が見せる瑞々しい表情を。