初めての作(閑人亭日録)

 昨日の知人女性のお宅で見た、壁に掛けてある彼女の絵は以前から見慣れたものだが、椅子の後ろの床に立て掛けてあった十号ほどの風景画に一目で惹かれた。前景には コスモスだろう、十本ほどが描かれ、後景には二階建てだろう人が住んでいない気配の四角い建物。屋根の上に大きな三日月がかかっている。遠近法も弁えていない素人の 絵だが、画家にはない良さ、欲や受け狙いのない恬淡とした姿勢が好感を呼ぶ。額屋さんからも同じように褒められた、と。その額屋は私も使っているので、ワカル。 壁に掛かっている売り絵には惹かれるものはない。ただこの初めての作だけが飛びぬけている。
 数年前、白砂勝敏さんがこんなものを描いています、とA4版の紙に描いたものを持ってきたことがある。これはいいね、と言ったら、それは彼の初めての絵だった。 その場で購入。それから彼はいくつも描いた。その最初の絵はネットには載っていない。
  https://shirasuna-k.com/gallery-2/two-dimensional/
 味戸ケイコさんから恵まれた銅版画を手にする。葉書より一回り大きい1967年と1968年の作。これまたネットにも載っていない。味戸さんの原点だと思う。

 三者三様。 作風は全く違うが、そこには共通するものがある。無欲、無垢の生成。そしてその初めての作の衝撃を見る人に与える。三作とも商品としてはまず流通しないだろう。 が、三作とも価値がある。それを評価する人が、私以外にいるかな。今のところゼロ。いたらとてもうれしい。

 朝から外出。いくつかの用事を片づける。立ち寄ったみしま未来研究所のカフェで若い知人女性からアイリッシュ・ミュージックを聴きたいと言われ、用事はすんだので、 CD三枚(ドロレス・ケーン、メアリー・ブラック、BBC放送制作)を選んで手渡す。アイルランドの音楽からも遠く離れたなあ。初来日のドロレス・ケーンのライヴを 聴きに原宿まで行ったが。往時茫々。三十枚ほどのCDを知人に譲った。手元にはCDは十枚もない。
  https://www.youtube.com/watch?v=zsBAVq7wTsA
  https://www.youtube.com/watch?v=oRdDnpkR3AQ
  https://www.youtube.com/watch?v=8WaLZt11D7E
 煮物を終えて外を見る。真っ赤な落日。

 ネット、うろうろ。

《 イメージがイメージを生みだす変容を、生きたままにしている人たちにとって、イメージは「私がイメージする」のではなく「イメージが考える」ものとしか 言いようがなくなる。すなわち「私がイメージを使ってなにかを表現する」のではなく「イメージが私を使ってなにかを表す」という感慨である。 》 中島 智
  https://twitter.com/nakashima001/status/1215549661848621056

《 懲戒請求者らが私を被告として損害賠償請求を求めていた事件、昨年12月19日に懲戒請求者らの請求を棄却する旨の判決が出ていたのですが、本日裁判所に 確認をしたところ懲戒請求者らから控訴はされず判決が確定しておりました。あんなに色々主張していたのに控訴しなかったんですな。 》 ノースライム
  https://twitter.com/noooooooorth/status/1215516145165357057

《 いまや多くの国民が見守っている桜見会追及で、相変わらずふてぶてしく隠し続ける酒田総務部長を通じて現場担当である人事課長を呼び出したのにもかかわらず すっぽかした上ついには人事課長神隠しに及んだ内閣官房。みなさん、この官僚さんたちなんとかならんか? 》 山羽明人
  https://twitter.com/cIHtcCLzQtI7ZPX/status/1215195702994694144

《 森雅子法相は「司法の場で無罪を証明すべき」とツイートし、慌てて「司法に場で無罪を主張すべき」と訂正したが、それは些事で、検察が有罪を証明すべきという 鉄板原則を解っていない。この人、本当に弁護士なのだろうか。しかし安倍政権下の法相はレベルが低い。河井前法相は夫婦でトンズラ中なのだ。 》 立川談四楼
  https://twitter.com/Dgoutokuji/status/1215477545606336513

《 訳文といえば、「引用にあたっては〇〇訳を参照し、必要に応じて訳をおぎなった」は「一応既訳があるので目を通してはいるけど、そのまま引用できる質ではないと 判断したので自分で訳した。けど、同じような日本語になる部分は出てくるので盗用と言われないように予防線を張った」の意味の婉曲表現。 》 松下哲也
  https://twitter.com/pinetree1981/status/1215412273570729984

『知の自由人たち』二(閑人亭日録)

 山口昌男『知の自由人たち』NHKライブラリー1998年初版、後半を読んだ。

《 今日の学問の形は、一定のパラダイムのなかで、一群の事実に上下関係と因果関係をもたせて、事実間の階層秩序を特定するもので、それは実験を基礎におく近代科学に立脚するものである。これに対し、江戸期以前の知識は、因果関係より事実の曼陀羅的な配慮を重んずるものであった。つまり事実を羅列し、事実をして語らしめ、読む者の 心のうちに生成する曼陀羅の中に位置を占めさせようとするのが江戸の随筆なのである。 》 「第8章 愉楽しての人類学・民俗学 山中共古坪井正五郎」 200-201頁

 「存在論的転回」を予見、示唆している・・・。

《 薩長藩閥政府の進めた中央集権化においては、少数の集団が情報を独占的に集め、「役に立つ、立たぬ」の二元的価値観を基に階層化しようとした。それが統治機構の 生み出すリアリティ(現実)である。(中略)藩閥政府がつくり出したがんじがらめの日常的現実に隙間を見つけて、そこから外に出る。そこに重力圏を脱した新しい現実を作りだす。そのうえで、隙間を拡大し、隙間の数を増やし、内と外の相互交通の可能性を増大させる。それこそ、精神の自由というものではなかろうか。 》 「第9章  逸民たちのアカデミー 集古の人々」 233-234頁

《 もちろん、ただ読み流していたら、この記事から「幕臣ネットワーク」が浮上してくることなど、金輪際あり得なかったであろう。隠された意味を何とか読み解こうとして手間を惜しまない者だけが、この記事から、新しい別のメッセージをつかむことができる。そして、ひとたびその立場にたてば、一見無関係のような各項目から、 いろいろな事実が相寄り、また別のメッセージを探りあてることができるかもしれないのである。 》 「第10章 街のエンサイクロペディスト 大槻如電石井研堂」  268頁

 ネットワークという言葉は、私には何ともすっきりしない言葉だが、この本では交遊圏(ネットワーク)291頁、交流圏(ネットワーク)304頁とあり、気持ちが落ち着く。 大部の著作を読んだ後には、満腹後のデザートのような味わいがある。

 午後、知りあいの未亡人宅で、亡夫の遺作の絵を友だちと見て、来月の遺作展の展示を考える。
 夕方、買い物から帰る時、車の運転席からきれいな声を掛けられる。あ、とこちらもあいさつ。ボイスキューの小坂真智子さん。相変わらず若いわ。

 ネット、うろうろ。

《 森友訴訟、国の全面敗訴が確定  国有地売却額非開示で 》 KYODO
  https://this.kiji.is/587448864229950561?c=39550187727945729

《 オリンピックはスポーツの祭典ではない。広告代理店の税金を使った利潤追求の単なる商売でしかない。参加するアスリートもプロ。サポートする企業も民間。 税金でやる意味はない。そんなにやりたけりゃ、企業が自分たちだけで資金作ってイベントでやれ。税金は福祉や生活のために使ってくれ!! 》 小松崎拓男
  https://twitter.com/takuokomart/status/1214547363701772291

《  廃棄記録もないのに、
  廃棄の日時に加え、「障碍者がやった!」と作業者まで特定して発表。
  これもう犯人安倍じゃん。 》

《 説明も嘘も要らないから、使った税金を返せ 》

『知の自由人たち』(閑人亭日録)

 『内田魯庵山脈 〈失われた日本人〉発掘』を長歌とすれば短歌にあたる『知の自由人たち』NHKライブラリー1998年初版、前半を読んだ。「まえがき」から。

《  私はここ十数年、日本近代をエリートの側からのみ見るのではなく、社会的には敗者(典型的には”旧幕臣”)から見ることの必要性を説いてきた。事実、現日本の システム崩壊を見ると、近代日本における勝者の作りあげたモデルが、一過性の現象の産物であったことが、また文化の全現象を支配していた筈の活字出版の一形態に すぎなかったことが明らかになった。(中略)
  しかしながら頭を冷やして考えると、文化は仮設的な部分から積み上げられているのであるから、恒常的であると扱われた部分が行きづまった時にすべきは、仮設的 (エフェメラル)な部分に戻るべきであるという所に帰する筈である。
  こういったときに、近代日本が切り捨ててきた「公に対する私」を出発点にしていた人物たちに学ぶ必要性が浮上して来る。生活の私的な、そして知的な好奇心という エネルギーの始発から離脱することのなかった人物たちのことを意味する。 》

《  安政五年(一八五八)から明治元年(一八六八)にいたる一〇年間に、このような使節団の随員や留学生として公式に外国に渡った者の数は、賄方などを除けば およそ二〇〇人ほどであり、そのほとんどは幕臣系の若者であった。
  二〇〇人という数は微々たる数であるが、彼らが欧米の科学・文化に触れて得たものは巨大であった。明治維新で薩摩・長州は政権を得たに過ぎず、明治日本の 科学・文化を担った者の多くは、この青年たちのなかから出たのである。 》 67-68頁

《 さて、ここに原胤昭(たねあき)という人物がいる。旧幕臣にして明治のキリスト者である。 》 「第6章 十手と十字架」 139頁

《 この時代の隠れた人物を掘り起こすのに鋭い臭覚をもつ山田風太郎が、この原胤昭を主人公とする小説『明治十手架』を書いたのも、むべなるかなと思われるのである。  》 「第6章 十手と十字架」 140頁

 『明治十手架』はもっていない。探さなくては。

《 ここで胤昭は、監獄から出て胤昭を頼って来る者を家に入れ、飯を食わせ、布団をかけてやり、仕事の世話をするということの繰り返しを四〇年続けることになる。 (中略)つまり胤昭が保護した人間の数は一万人以上ということである。 》 「第6章 十手と十字架」 160-161頁

  凄い人生だ。敬服。

 東京新聞の連載、田中優子『私の東京物語』はきょうで三回目(十回連載)。今のところ江戸の話題。それがじつに読ませる。きょうの冒頭と結び。

《 江戸の雑談と笑いは枚挙にいとまがない。 》

《 私が江戸文学と出会ったとき、石川淳から受け取ったのが、このようにいくつもの名前をもって自分の才能を使い分け、それぞれの自分を異なるネットワークに 位置付けて世界を拡大していく彼らのありかたである。それは私にとって衝撃的な人間像だった。「日本にこんな時代があった」という驚きで震えた。恋川春町は武士で あったが、そのありようは、確かに江戸っ子なのだ。 》

 『内田魯庵山脈 〈失われた日本人〉発掘』へつながる前史だ。

 ネット、うろうろ。

《 フランス書院で執筆している作家さんには、「年賀状NG」の方も多い。家族に内緒で作家活動をしている場合があるからだ。確かに、正月にいきなりフランス書院から 年賀状が届いたら、ちょっとした「事件」かも。フランス書院は、作家さんの一家団欒の時間を何よりも大切にしています。 》 フランス書院文庫編集部
  https://twitter.com/franceshoin1985/status/1214159431367311361

《 雑談になって隠し資産とか複数の愛人がいるなどは個人情報ですかと訊ねる、後者は個人情報にはなりません、と。徴税強化のためのマイナンバー制度同様、 役所にとって個人情報とは金のことでしかない。/個人情報 》 一考
  http://www.despera.com/bbs2/2020/01/post_2544.html

《 世界中の荒れ果てたカジノとその物語 》 JAPANESE CASINO
  https://www.japanesecasino.com/abandoned-casinos

《 内閣総理大臣が、総理大臣としての年頭記者会見で「憲法改正を私自身の手で成し遂げていく考えには全く揺らぎはない」と明言した以上、憲法を堂々と蹂躙する 発言により総理大臣失格とならないとおかしい。これの何がおかしいかわからない国民が多数派なら立憲主義の国ではない。憲法の意味が消失する。 》 山崎 雅弘
  https://twitter.com/mas__yamazaki/status/1214479550131752961

《流石の安倍晋三も、国王でも大統領でもない、たかが首相がこれをやったら、明々白々たる主権者への叛逆だという認識はある筈で、安倍改憲への賛同にもはや正当性は 無い。自動車(政治)が勝手に動いておいて、運転者(国民)の意思の反映だという理屈は通らない。よほど立場が危ういと見える。 》 津原泰水=やすみ
  https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1214620647499788289

《  安倍
   「いい加減桜を見る会から気をそらす隠し爆弾は無いのかよ」
   内閣官房
   「とっておきのがあります、現役国会議員逮捕とか」
   安倍
  「よし、さっさとそれやれや」

   安倍
  「バカヤロー、誰が自民党議員の逮捕って言ったんだよ。」 》

《  中東歴訪中止(笑)

  安倍ヘッポコ過ぎるwww
  危機的状況だからこそ行くべきだろ
  「自衛隊は行け。でもボクチンは行かない」
  もう自衛隊員が不憫でなりませぬ

  「ちっ、生け贄が逃げやがった!」 (トランプ) 》

《 あ か ん 》 ひでじぅ/丹羽にわこ
  https://twitter.com/hidejiu/status/1214824829221666818

再読『内田魯庵山脈』十(閑人亭日録)

 山口昌男内田魯庵山脈 〈失われた日本人〉発掘』晶文社2001年初版、「33 『本屋風情」遺聞」を読んだ。

《 引用の後半は、魯庵の一出版人に示した誠実な対応といってもよい。これだけなら、別に珍しくもない、ありふれたことである。ところが、この記述が柳田国男の 岡茂雄に対する仕打ちと比較せられるとき、そして対比されるとき、成り上がり役人、つまりピラミッドの頂点に近いところに辿りついた人物と、終生市井の生活から 離れることがなかった人物との相違がありありと見えてくる。 》 534上段

 以下、出版人岡茂雄に対する「本屋風情」という蔑辞が語られる。

《 柳田(国男)の折口(信夫)に対するいじめも相当のものである。ときには折口の、柳田の及ばない古代様式の短歌に対するやっかみ混じりの面罵はひどいもので、 「君、あんなものは短歌じゃないよ」とまで言った。 》 536頁下段

《 このような状態の混沌ともいうべき民俗学を比較民俗学も含めて学問の存在の根拠としていたのは南方熊楠であった。熊楠は柳田と違って性の問題を研究の対象から 外さなかった。女色、男色とも熊楠はこれらを彼の民俗学の対象とした。従って宮武外骨とも別け隔てなく付き合った柳田はこれを忌み嫌って、外骨とはなるべく 付き合わないようにといった趣旨の手紙を送って熊楠に圧力をかけてが、熊楠は一向意に介しなかった。 》 539頁下段

《 柳田は性と趣味といった民俗学を通俗性に導く恐れのあるものは本質的に嫌う傾向があった。ここが柳田と魯庵が、まるで違うところであった。 》 430頁上段

《 私が柳田国男と初めて会ったのは昭和三十七年の八月のことであった。(中略)柳田は必ずしも性民俗学を排除していたわけではないことはこのエピソードで 確かめられるだろう。 》 540-541頁

 「34 桁をはずれた彗星」を読んだ。

《 日本近代の面白さの一つは、数々の新しがり屋が出て先人の業績否定を行ってきたが、最も鋭い感性の持ち主には一貫した趣向が持ちつづけられているということである 。その例がルイーズ・ブルックスである。ルイーズ・ブルックスについては晩年の淡島寒月がすでに明治年間に書いた文章において触れている。それに魯庵がモダン・ガール の精粋として触れ、大岡昇平が晩年に一冊の本を出している。小林秀雄川上徹太郎にはこの粋さが欠けており、骨董に埋没したとはいえ、映像の世界のモダニズムに この二人の批評はついには無縁であった。 》 554頁

《 魯庵のモダンに対する考え方は近代日本の屋台骨の貧弱さという点にかかっている。新思想、新学問、図書館に対する理解の低さ、女性解放運動、蒐集行為の不徹底、 これらすべては魯庵が不断に論じていた根において繋がる問題であったのだ。 》 555頁上段

 「35 亜細亜図書館建設の理想、「36 若き友人たちの追悼」を読んだ。「37 結びに──切れることのない糸」を読んだ。その結び。

《 うさんくさく見られる随筆スタイルこそ、日本文学の定形からいちはやく離れて、モダン・アートの陣営に加わる魯庵独自のやり方であり、これこそ、日本近代文学研究 のなかなか言い当てられなかった方法なのである。本書は、そういった魯庵=モダンの像を、近代文学史の中から取り出す試みでもあった。 》 504頁

 なんか種村季弘氏の著作を連想させる。氏の発言で印象に残っている、体系を作るつもりはない、といったことの先駆者であるような内田魯庵だ。三部作再読終了。ふう。

 ネット、いろいろ。

《 1903年の今日は日本の小説家、エッセイストの森茉莉が生まれた日です。食べ物エッセイの「貧乏サヴァラン」はとても面白いです。森鴎外の長女でお嬢様として 育てられ、後に貧乏になりました。 》 愛書家日誌
  https://twitter.com/aishokyo/status/1214323275788099584

《  俺はもう10年以上階段や路地の写真撮るときに位置情報埋め込んでいて数十万枚あるのだが、死ぬ前にすべてパブリックドメインに移すつもりだ。 百年後、千年後にかつてここに階段という美があったことを伝えるために。
  2019年の階段写真四選、佐渡佐多岬那覇、川崎 》 階段巡りツイッター
  https://twitter.com/kaidanmeguri/status/1214140547171962882

《 「アートを大衆にひろめる」というお題目の元、いかにくだらないビジネスの食いものにされてるか、冷静に考えた方がいいよ。 そもそもアートが必要な人なんて、世の中にそんなにいるの?本当にアートを必要としてる人にちゃんと届くだけで、アートは成立しますよ。 》 黒瀬陽平
  https://twitter.com/kaichoo/status/1213810210864656384

《 対談:ホー・ツーニェン×浅田彰 《旅館アポリア》をめぐって 》 REALKYOTO
  http://realkyoto.jp/article/ho-tzu-nyen_asada/

《 「私の手で憲法を変えるという考えは揺るがない」。(総理の年頭会見)
  憲法のなんたるかを全くわかっていない。「私の手で」勝手に変えてもらったら困るんです。
  憲法はあなたの手を縛るためにあるのです。
  憲法をもう一度読み直し顔を洗って出直しなさい。 》 市田忠義
  https://twitter.com/ichida_t/status/1214165574797815810

《 安倍首相はアメリカとイランの橋渡しができる世界で唯一の存在だと自称していたのではないのか。にもかかわらず、アメリカともイランとも言わずに「中東地域」 と抽象化し、トランプに対して自制を呼びかけるでもなく「すべての関係者に外交努力を求める」と他人事感丸出し。この逃げ足は一体何なのか。 》 ゆみ
  https://twitter.com/yumidesu_4649/status/1214175545027522561

再読『内田魯庵山脈』九(閑人亭日録)

 山口昌男内田魯庵山脈 〈失われた日本人〉発掘』晶文社2001年初版、「30 広告の現在と近い未来」を読んだ。

《 魯庵が広告ならびに宣伝に並々ならぬ関心を抱いていたということはよく知られている。 》 468頁上段

《 魯庵は広い意味で文化史という言葉が使われる遥か以前にこの言葉を使っている。今日、文化史といえば、さまざまな領域を横断して、一つの現象が異なった分野で 現れるということを指す。従って狭義の芸術史を寄せ集めたことを意味しない。広告という一現象を文化史において捉える魯庵の方法は今日の文化についての視点を 先取りしている。 》 468頁下段

《 (魯庵は西欧派の啓蒙と思われていたが、コミュニケーションの民俗学の先駆者と言ってよいほうである) 》 473頁下段

《 (ポスターがストリート・クライアーであることを看破した魯庵の慧眼はただものではなかった) 》 474頁下段

《 魯庵の批判は、図書館、博物館が、さまざまなコレクションの総体からなっていないという成立の根本理念を衝いていて鋭い。今日ではこのコレクション嫌いは 大学図書館の書物嫌いという形で各所に表れている。 》 475頁下段

《 美術館などという空間消費量の多い媒体よりもCD-ROMにでも収めればよいという考え方も成り立つだろうが、情報と芸術は空間の中で持つ意味は違うはずである。  》 477頁上段

《 岡田三郎助と橋口五葉の三越のポスターは当時も今も言及されるが、魯庵を除いてポスターという視点から批評の対象になったことはない。 》 480頁上段

《  つまり魯庵は、芸術絵画と複製技術としてのポスターを混同してはいけないという視点に立っているのである。その点で魯庵ベンヤミンの複製芸術論を先取りして いるのである。魯庵は来るべき美術を語る知について予見していた知の幻視者であったといえる。(中略)
  こうして魯庵は同時代の狭義の文学批評という分野の境域を越えて卓越した批評眼を備えた比較文化史家への鮮やかな転身を遂げつつあったのである。 》 480~481頁

《 大正時代の文人・画人は明治を支配していた上層部の堅い殻を破って緩いネットワークを形成したいたのである。(中略)今日はネットワークであると思って追って いっても、それがいつの間にか派閥、学閥というタコツボに入って消えてしまうようにできている。 》 484頁上段~下段

 「31 魯庵の「新しい女」論」を読んだ。

《 明治三十四年になって『太平洋』に寄せられた「社会百面相」では「女学者」をはじめとする女性を主人公とした小説が見られる。 》 502頁上段

 そういえば、あったなと思いだし、本棚から『社会百面相(上・下)』岩波文庫1977年3刷を抜く。上巻にあった。序文(一)の冒頭。

《 我が作の枯淡無味なるは誠に批評家先生の言の如し。左れども我は今の爛漫たる天才諸君の班たる能はざるを耻とせざるなり。 》

《 そこで魯庵は言う。中途半端な教育にまどわされて男の仕掛ける欺瞞に引っかかるな。人格を磨いて男と対等に渡り合って、自らの尊厳を認めさせることが先決問題で ある。そういう意味で若き女は目覚めなければならないというわけである。 》 505頁下段

《 ここには二つの重要な視点が示されている。一つは、明治十七、八年頃の鹿鳴館の時代の持つ、一般庶民に対する啓蒙の意味であり、もう一つは、「沃土を残して去る」 といった知的ソフィスケーションの滲透である。それがなければその後の日本は西南の役におけるように内乱の繰り返しに明け暮れたであろうという視点は大切である。 》  510頁上段~下段

 「32 「青踏」運動、きのうの夢」を読んだ。

《 魯庵の個人を単位とした事象についての洞察は限りなく鋭い。そしてそれをアイロニーを混ぜて語る語り口は限りなく冴えわたる。しかしそれが冴えるのは自虐的な形で 日本に対してだけであって、西欧に対しては結局「敵(かな)わない」というところに落ち着く。(中略)結局魯庵の西欧のイメージが明治以来の西欧の知識の吸収=教養の 形成にとらわれていたという事実と無関係ではなかろう。 》 520-521頁

《 西欧の探求、博物誌史的自己実現のシステムそのものが他文明圧倒の側面を持つ方法である可能性についての考察を怠ってはならない。時代的制約もあるとはいえ 魯庵が西欧にやや点が甘いというのは、日本の女に対する充分鋭い洞察の眼が必ずしも西欧文明に対しては行き届いていないという点である。つまり、自国の問題に対しては 「質」の面から鋭く捉え、西欧に対しては「量」の面から畏敬の念を示すところに、二十世紀共通の問題を魯庵も抱えているということになる。 》 522頁上段

 昼前、白砂勝敏さんへ昨日依頼された原稿、題して「野生の自然の送りモノ」をメールで送信。夕方、彼から電話。肩書の「美術愛好者」を代えて欲しいというので、 「元K美術館館長」に。

 ネット、うろうろ。

《 3冊すべて読んだことのある人はどれくらいいるのでしょう。全部読んだ方はリツイートを是非! 》 幻想系古本屋 Doris (古書ドリス)
  https://twitter.com/info_doris/status/1213668935066767360

 ここの画像でもっていないのは、『ドグラ・マグラ』角川文庫、『黒死館殺人事件』復刻版。載っていなくてもっているのは『ドグラ・マグラ』現代教養文庫1976年、 『黒死館殺人事件河出文庫2008年。当然既読。

《 初出勤日から、名刺交換会とは嫌すぎる。早く帰りたい…… 》 黒白
  https://twitter.com/MadHatter1933/status/1214138104124043264

《 川勝平太・静岡知事「リニアか南アルプスかといえば、迷わず」 》 毎日新聞
  https://mainichi.jp/articles/20200104/k00/00m/040/045000c

《  アメリカ人が戦争をしたいなんて思ってないけど、トランプのせいで戦争になる。
  日本人も戦争をしたいなんて思ってないのに、安倍晋三のせいで戦争に巻き込まれる。 》 yutaka
  https://twitter.com/yumi_yutaka/status/1213486697079439363

《 人間が本格的に宇宙に進出したとして、当然四季が無いわけだから、俳句はどうなってしまうんだろうか。 》 新井五差路
  https://twitter.com/araigosaro/status/1214124718095093763

再読『内田魯庵山脈』八(閑人亭日録)

 山口昌男内田魯庵山脈 〈失われた日本人〉発掘』晶文社2001年初版、「III 魯庵のこだま」、「26 『バクダン』を読む──文化史家魯庵」を読んだ。

《 『バクダン』の題名については魯庵自身が凡例において、『獏の舌』に続いて刊行されたことを考慮にいれて、「バクダン」は「獏談」であり、獏(飼い犬のバクに よる)の咄の意で、漠然と書いたから「獏談」にも通ずるとしている。 》 413頁下段

《 魯庵はジャーナリズムの歴史の一齣を次のようにも伝える。

    二十三年に(久保田)米遷が東京へ転任した時の咄に、京都では
   画工(えかき)は迚も飯が喰へません、ドンナ画を描かしても画料は
   一円と定まつているんですからドウにも仕様が無い。勢ひ友禅の
   下絵を描かにやならんので、(幸野)楳嶺でも(鈴木)百年でも
   友禅の下絵で生活してゐるのですと……。 》 428頁上段

《 この章では画家の画料が急速に跳ね上がったことを論じており、最後に、春陽堂で出ていた『美術世界』という和紙に印刷された雑誌で人気のあった渡辺省亭の 成功以前の貧乏ぶりについて触れる。 》 428頁下段

 渡辺省亭が編集主任の『美術世界』は、明治23年(1890年)から明治27年(1894年)1月にかけて25巻が発行された。高級美術雑誌『国華』は明治22(1889)年10月創刊。

 「27 奇(キューリオ)の人類学」を読んだ。

《  結論から先に言おう。近代日本で比較文化などということをまともに扱った人物は内田魯庵と人類学の創始者坪井正五郎しかいない。
  西洋史東洋史、美術史、国史民俗学、社会科学、音楽史哲学史、どれをとってもそれらの分野は専門的細分化をたどってきただけであるから、今日、比較など ということを口にする資格も関心もない。 》 439下段頁

《 従って「野蛮人」と魯庵が言うとき、これを今日のニュアンスから民俗玩具についての発言と同じく、否定的な言葉と取らないように心掛けたいものである。 》  448頁上段~下段

《 ここで魯庵は話題を茶器の本当の価値に転じて、茶人の理想は野蛮人の生活の理想化であるという警句的断言を行う。単純化の彼方の単純化が野蛮人の芸術であるから、 「人間の技巧の臭ひを少しも持つてゐない野蛮人の芸術は宛がらの造化神工だ」と言い切る。 》 448頁下段

《 抽象的な観念が邪魔して普通のいわゆる文明国の人間は「自然と融合して相抱擁する満足が溢れて画となる」という状態を実現しにくい状態にある。魯庵が野蛮人は 一挺の刃物しか持っていなかったと言うのは、今日ではふつう専門家の指摘しない鋭い切り口である。 》 449頁下段

《 キューリオの人類学という想像力が力を振るう研究領域が二十一世紀に開発されるときには魯庵は一大先駆者として顧みられる(に)至るであろう。しかしそに前に 人類学そのもの、または人類学、社会学などの専門分野という考え方そのものがキューリオになるのではなかろうか。 》 453頁下段

 「28 未来派戦争画批評」を読んだ。

《 イタリア未来派の過剰な分解の努力を魯庵は「消化しない力学的描写」と呼ぶ。 》 457頁下段

《 戦後、藤田嗣治を戦犯として糾弾し藤田をして日本を去らしめたのは、日本共産党に入党した魯庵の息子内田厳であった。 》 463頁上段~下段

 「29 広告・ポスター考」を読んだ。

《 魯庵は広い意味での文化史という言葉が使われる遥か以前にこの言葉を使っている。今日、文化史といえば、さまざまな領域を横断して、一つの現象が異なった分野で 現れるということを指す。従って狭義の芸術史を寄せ集めたことを意味しない。広告という一現象を文化史において捉えるという魯庵の方法は今日の文化についての視点を 先取りしている。 》 468頁下段

 夜、白砂勝敏さんから電話。個展のプレス・リリース用の文章を依頼される。早速考え始める。読書中断。

 ネット、うろうろ。

《  フィンランドの34歳首相の言葉。
  「社会の強さとは、富裕層が持つ富の大きさではなく、最も弱い立場にいる人がどれだけ快適に生活できるかによって計るべきもの」
  近い思いが私にもある。株価や内定率は一つの大事な指標だが、一人一人の生活が良くならないならただのバベルの塔のような指標に過ぎない 》 原田謙介@岡山
  https://twitter.com/haraken0814/status/1213232542779727875

《 アメリカとイランの「仲介役」だとか言ってたのは多分、国民の記憶違いなんだよ。 》 大塚八坂堂
  https://twitter.com/MiraiMangaLabo/status/1213327899165523968

《  「ゴルフの危機が語られている今、練習しておくのは、首脳の務めじゃありませんか」

  (ソーリ、それはGulf) 》 buu
  https://twitter.com/buu34/status/1213484342590107648

《  このツイート、本当に大好きだ!

  「こう」→「更」、「そう」→「送」
  …って一生懸命、変換したんだろうなぁ。

  「あれ、なんで『こうそう』で一発変換されないんだ?馬鹿なパソコンや」とか思ったんだろうなあ。

  ツイートの内容も「馬鹿な記事はほっといて…」と威勢いいし、最高すぎる。 》 さよなら昨日の私
  https://twitter.com/SaYoNaRaKiNo/status/1213419278243790848

再読『内田魯庵山脈』七(閑人亭日録)

 山口昌男内田魯庵山脈 〈失われた日本人〉発掘』晶文社2001年初版、「20 ハイブラウ魯庵の敗北──三田平凡寺」を読んだ。

《 この文章の中で、平凡寺は漱石、緑雨、鏡花、浪六、外骨、(青柳)有美、一茶、寒月などの皮肉について一言で定義しているが、「魯庵先生の筆には皮肉その物に 囚わはれてゐる所がある」と言っている。この表現には正鵠を射ているところがある。魯庵の士大夫ばりのハイブラウ趣味の欠点を見事に言い表している。 》 334頁上段

《 ハイブラウで西欧文化の吸収に全力を尽くしていた魯庵が、ローブラウで肩の力を抜いて付き合っていた三田平凡寺に敗れ去った。そしてその事実は同時時代の誰に よっても気づかれなかったというのは、文化史の中で限りない興味を呼ぶ。 》 228頁下段

 三田平凡寺夏目房之介荒俣宏の著作でへえ~と面白かった。この章では荒俣宏『異彩天才伝』福武文庫1991年初版に触れている。

 「大正の現実と国際的知を繋ぐ力──アントニン・レーモンド」を読んだ。

《  レーモンドには、チェコからフランス、アメリカそしてイタリア、再びアメリカ日本、インド、アメリカといった、軽く国家を越える世界市民的な生き方が自然に 身についていた。三田平凡寺にも、魯庵にも共通するのは、この境界を越える融通無碍の力であった。
  大正に始まるこのネットワーク形成の力は、各々の人が自らの宇宙を創る力によるものであった。ネットワークといって悪ければ、一人一人が自らのプラネタリウムを つくる力といってもよい。 》 350頁上段~下段

《 そして魯庵三田平凡寺は、当時の国の内外を問わぬ国際的なネットワークではほとんど双生児といってよい存在であった。 》 350頁下段

 「22 尋常小学校分教場の趣味宇宙──板 祐生」を読んだ。

《 板祐生内田魯庵が求め集めていたのは、ヒューマン・ネットワークであった。魯庵山中共古らが集古会や古典を読む会などで追及していたのは、「物」研究を 通して心の奥の部分で強い精神のパイプをつくることであった。 》 360頁上段

 北御牧村立梅野記念絵画館1998年刊の図録には板祐生の謄写孔版画が八点掲載されている。解説から。

《 板祐生鳥取の片田舎に生涯を終え乍ら、童玩の世界を愛し、その美しさに同化し、己の表現を孔版画に見出し、独力で祐生孔版の世界を開花させた稀有の文人画家で ある。 》

 「23 江戸の頽廃美と世紀末西欧は出逢ったか──永井荷風」を読んだ。

《 魯庵の西欧好みの欠点は、西欧の頽廃の魅力を見出すほど距離を置く術を、やや欠いていたうらみがあったことである。魯庵が江戸の頽廃美の魅力の延長線上で 世紀末西欧を捉えていたら、もっと永井荷風に近いところに自分の立場を移していたろうにと思えてならない。 》 364頁下段

《 魯庵はしきりに帰国後の荷風のダンディズムを称揚する。 》 365頁下段

《 筆者はかつて三十年前、「徒党の系譜」という文章において、少数派の徒党は歓迎するが、多数派の徒党はいただけないことを主張した。今日日本の学界はほとんど 学閥・地方閥を中心とする多数派徒党の巣になってしまった。曰く、文化人類学党、社会学党、東京大学党、関西党等々……。荷風の言う「結社は必ずしも身を守る道とは 言えへない」という言い方には全面的に共感するのである。 》 375頁下段

 「24 広瀬千香の見た「星座」」「25 魯庵の愛した無垢(イノセンス)─平子鐸嶺」を読んだ。「II 魯庵の星座」読了。「III 魯庵のこだま」へ。

 ネット、うろうろ。

《 まずはなんでもいいから数千円から自分でアート作品買ってみる習慣作りがアート市場には大切だと思う。裾野が広くない市場は多様性も乏しいわけで。 》  木下斉
  https://twitter.com/shoutengai/status/1213007887796064256

《 バスキアの日本における市場価値って某社長が買ってから下がったよな。 》 下流人生 、風俗日記
  https://twitter.com/karyujinsei/status/1213348860422057984

《  「日本が世界の真ん中で輝いた1年」by安倍首相

  ◆ジェンダーギャップ指数世界121位(史上最低)
  ◆1人当たり名目GDP世界26位(史上最低)
  ◆カロリーベース食料自給率37%(史上最低、主要国最低)
  ◆母子世帯貧困率51.4%(OECD36カ国最悪)
  ◆実質賃金22年間で最低、OECD36カ国で賃下げは日本だけ 》 井上伸@雑誌KOKKO
  https://twitter.com/inoueshin0/status/1212009343773622273

《 改憲が時の総理の〈悲願〉であると無批判に報道される社会は、民主主義社会としては、既に地獄だと言って差し支えないように、私なんぞには思えますけどねえ。 憲法というものの性格を考えるとき。 》 松井計
  https://twitter.com/matsuikei/status/1212945460505133058

《 「一富士 二鷹 三茄子」のデブverは「一蘭 二郎 三田製麺」と呼ばれています。新年最短では今日達成できます。 》 意識の高いデブ
  https://twitter.com/e_debu/status/1212638664691306498