エッセイ、私小説、小説

 昨日取り上げた出久根達郎「朝茶と一冊」を随筆とかエッセイ集ではなく短文集と書いたのはわけがある。「無明の蝶」講談社文庫の解説で逢坂剛は書いている。
「T氏は出久根さんの最初の本、『古本奇譚』を出した人である。出久根さんは、その本を小説として書いたつもりだったが、T氏は『ずぶの素人が書いた小説は売れない』と判断し、エッセイと銘打って出版することにした。」
「ともかくそれからというもの、わたしは出久根さんの書くエッセイ(とも小説ともつかぬもの)を欠かさず読み、」云々
「その作品を、『落語の語り口の域にすら達したこともない悪しき自然主義文学』(加藤周一)の申し子ともいうべき、私小説と比べるのは、あまりにも見当違いというべきだろう。」
「エッセイ風の味を残しながらも、はっきりとフィクションの世界へ足を踏み入れた、記念すべき本といってよかろう。」
 と書いた逢坂剛の慧眼に感心した。私は「古本奇譚」をエッセイ集として読んだ。そんなことで今回は短文集と書いた。エッセイ、私小説、小説を自在に往来してるのが出久根達郎だ。そういう分類を無効にする作品は、美術界にも当然ある。作家と自称する人たちの多くは、分類の権威と序列を笠に着ようと画策している。そういうものから遠く離れている人が味戸ケイコさんであり、多分出久根達郎であろう。

 ネット巡りで遭遇したコトバ。
「名古屋地方でよく見られるベトコンラーメン」
「ベトコンというのはベトナム戦争とは何の関係もなくて『ベストコンディション』の略」
 ホントにあるのかなあとググッてみたら、あるわあるわ。世の中、知らないことがいっぱい。

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