都市に生まれた音楽

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。北村薫「ニッポン硬貨の謎」東京創元社2005年初版、芦辺拓「グラン・ギニョール城」創元推理文庫2006年初版、計210円。前者は借りて読んで面白かった。後者は単行本で持っているけど、おまけにショートショートがあるので。買う理由はいくらでもつくものだ。

 この数日、LPレコードで津軽民謡歌手を聴いていた。成田雲竹、浅利みき、二代目津軽家すわ子など。以前もそうだったけど、どうも津軽民謡は合わない。上手いとは思うけど。ゴールデンカップスのベスト盤を聴いて気分がスッキリ。演歌の大部分も好みではない。なぜだろうと考えた一つの結論は、民謡・演歌は地方に基盤を持つ音楽であり、ゴールデンカップスやジャズは二十世紀の都市に生まれた音楽だということ。出自が違うのだ。そこにはさらに都市ならではの「疎外」(死語かも)がかかわって来ると思う。寺山修司の詩歌・散文には興味を覚えるが、彼の劇団「天上桟敷」には無関心。でも唐十郎の劇団「状況劇場」を愛好するのは同様の根から来ている。ゴールデンカップスでとりわけ惹かれる「本牧ブルース」「もう一度人生を」「愛する君に」の作詞がなかにし礼というのも頷ける。

 朝は雨。でも徒歩で来た。足が濡れた。午後はばしゃばしゃと雨。お客さんが帰ってひっそりとした時間、段ボール箱から小さな詩集を取り出す。寺山修司「わけもなくさびしかったら」サンリオ・ギフト文庫1976年初版。中の「お月さましか話相手がいなかったら」の後半。

  小さな古いレコード店
  かけても鳴らないレコードが一枚ありました
  暗いところにおくと
  あたり一面あかるくなるレコードだったので
  少年はそれだけは売るまいと思っていました

  盗まれた月の話です