2024-09-01から1ヶ月間の記事一覧
『現代の美術 art now7 集合の魔術』講談社 1971年7月25日第1刷発行、高階秀爾・編著、巻末の「集合の美学」を読んだ。《 「断片化への欲求」は、古典主義の美学に正面切って反対したロマン派の登場とともに始まった。(引用者・略) 印象派とまったく同世…
『現代の美術 art now7 集合の魔術』講談社 1971年7月25日第1刷発行、高階秀爾・編著、「はじめに」を読んだ。《 現代芸術が、油絵具とかブロンズ、大理石というような古典的な材料だけに頼ることをやめ、プラスティックや、合金や、そのほか文字通りありと…
内野まゆみ個展『三島 源兵衛川 古人(いにしえびと)の忘れもの』ギャラリー701、10月31日(木)~1月4日(月)のチラシを知人などへ郵送。 https://via701.com/2f/gallery701/ 私の(手書きの下手な字の)稚拙な推薦文のコピーを同封。内野さんが写真に撮り、フ…
『現代の美術 art now6主張するオブジェ』(第9回配本)講談社 1972年1月15日第1刷発行、東野芳明・編著、巻末の「現代物体論」を読んだ。《 ぼくらを取り囲んでいる物体を掩っているさまざまな意味の大半は、とりもなおさず、ぼくらが生きている社会機構の…
『現代の美術 art now6主張するオブジェ』(第9回配本)講談社 1972年1月15日第1刷発行、東野芳明・編を開く。図版は昨日さらっと見た。今日は文章を読む。 「はじめに」 《 考えてみれば、人間はつねに何らかの物体に囲まれて生きて来た。原始時代の人間が…
やはり疲れていたのだろう。昨日の本の表題を間違えていた。「ポップ」とつくものは、美術であれ、音楽であれ、苦手。関わらずにいた。どこで勘違いしたか。ゆっくり休もう。が、そうもゆかず、野暮用に動かされる。帰宅。疲れた~。 とは言いつつ、『現代の…
『現代の美術 art now5つくられた自然』1971年8月25日第1刷発行、編著・中原佑介の解説「つくられた自然」を読んだ。 味戸ケイコさんの絵『寒い日』1981年を鑑賞。初秋の気配を感じたせいだろうか、あるいは『現代の美術 art now』に疲れたせいか。多分そう…
『現代の美術 art now4ポップ人間登場』講談社1971年5月25日第1刷発行(第2回配本)を読んだ。執筆者・東野芳明。 「1 あっけらかんとした弔鐘──アメリカ」《 第二次大戦後の現代美術が、ヨーロッパ中心主義から、アメリカにその中心地を移し、とりわけニ…
川端康成の小説『みづうみ』新潮社 昭和三十年四月十五日發行を読んだ。三十代半ばの、教え子の女生徒との不純異性交際で高校教師をクビになった男の、子ども時代から今までの女性への関わりが描かれている。関わりと書いたが、今でいうストーカー行為が描か…
午後の陽光の中で北一明の茶盌をしばらくぶりに鑑賞。二級品だが、彼の二級品は、名の知れた陶芸家の一級品とは格違いの趣きがある。掌の上で深い静けさを見せる釉薬は、突然耀き、変幻する。北ならではの釉薬の魅力だ。減退していた気力が回復へ向かう。『…
夏バテの老齢には『現代の美術 art now』講談社はきつい。気力が回復するまでお休み。1970年頃の時代感覚が興味深いけど、如何せん疲れた。 昨日は猛暑日。きょうも暑い36.7℃。お彼岸まで暑いとは。 午後一時、富士市の白砂勝敏ギャラリーの小澤さんが来訪。…
『現代の美術 art now3 情念の人間』講談社1971年6月25日第1刷発行(第3回配本)を読んだ。編著・野村太郎。 「はじめに」《 この巻には、20世紀の美術が方向づけた美術家のいくつかの主要な関心のなかから、とくに「表現(エクスプレション)」にかかわりの…
『現代の美術 art now2 幻想と人間』講談社1971年4月12日第1刷発行(第1回配本)を読んだ。編著・岡田隆彦。「はじめに」。《 現代美術の描きだす〈幻想〉には、じつにさまざまなものがある。 》6頁《 眼に見える現実とはおよそちがったものであることがわ…
「現代美術への道」、中原佑介「芸術思想の国際化──両大戦間の動向をめぐって」を読んだ。《 第一次大戦が文化や芸術にもたらしたものはひとことで尽くせないが、そのもっとも際立ったひとつとして、国際主義の自覚ということが挙げられるだろう。国際主義と…
「現代美術への道」、高階秀爾「新しい芸術の胎動──第一次大戦まで」を読んだ。《 ルネサンス以来四百年間にわたって生き続けてきた人間中心的な写実主義の世界は、印象派による光の導入という事件によって、まるでトランプのお城のように崩れ去ってしまった…
『現代の美術 art now1先駆者たち』、中原佑介「4 自然からの訣別」。《 というより、第二次大戦後にみられる現代美術の動向が、立体派のもつそうした先駆的意義を改めて発見させたのである。1961年、ニューヨーク近代美術館で開かれた「アセンブリッジ展…
『現代の美術 art now1先駆者たち』、中原佑介「3 夢と幻想」。《 しかしながら非現実的あるいは幻想的なイメージは例外的なもの、特殊なものとして美術史の片隅に追いやられてきたのだった。そして今世紀になって、初めて夢や幻想の織りなす世界が美術の…
『現代の美術 art now1先駆者たち』、高階秀爾「2 表現から抽象へ」。《 現代芸術の大きな特質のひとつである国際化の現象は、20世紀になると同時に、まずヨーロッパ諸国のあいだで顕著に見られるようになった。いや実はそれは、19世紀末から20世紀初頭に…
『現代の美術 art now1先駆者たち』、高階秀爾「1 人間像の系譜」。《 しかしながら、〈アヴィニョンの娘たち〉の持つ歴史的意味は、おそらくキュビズム(注:立方体主義)との関係のみに限られるものではない。歴史の里程標となる多くの名作がそうである…
『現代の美術 art now 1先駆者たち』(高階秀爾 中原佑介 編)講談社1971年11月20日第1刷発行(第8回配本)を開く。高階秀爾「はじめに」。《 第二次大戦後の世界の美術は、これまでの歴史にかつて見られなかったような多様な変貌を示している。 》6頁《「…
1970年代初頭に講談社から出版された全12巻別巻1冊からなる『現代の美術 art now』が手元にある。全巻の題名。 1 先駆者たち 2 幻想と人間 3 情念の人間 4 ポップ人間登場 5 つくられた自然 6 主張するオブジェ 7 集合の魔術 8 躍動する抽象 9 構成…
午前3時22.9℃。ふっと目が覚めた。ベランダに出て涼しい夜風を受けていると、一つのアイデアが浮かんだ。 1967年から刊行が開始された『全集・現代文学の発見』學藝書林という全16巻別巻1冊の全集がある。全巻の題名。 1 最初の衝撃 2 方法の実験 3 革…
昨日の引用、《 文学史というものが、そういうものを中心にまとめられていったので、そうではないものは大衆文学として切り捨てちゃったんだね。 》 は、文学史を美術史に置き換えても十分通用すると思う。これ以上は深く書かないが、私が評価し推している作…
午前三時、目が覚める。やや涼しい。書斎で 種村季弘『雨の日はソファで散歩』を少し読む。「文明開化とデカダンス」。《 公務やビジネスの場のように、そこでなければならないという場所ではないから、場末の歓楽街は夢のなか以外のどこにも存在しない、エ…
種村季弘『雨の日はソファで散歩』筑摩書房2005年8月25日 初版第1刷発行を本棚から抜くと、木口に付箋。あれ?読んだかなあ、と本を開くと「謹呈 著者」の紙片。そうかあ。とてもありがたい。桑原茂夫「あとがき」冒頭。《 本書は、今は亡き種村季弘さんが自…
種村季弘『徘徊老人の夏』ちくま文庫二〇〇八年七月十日 第一刷発行を読み進める。「プリクラ」。《 下町にはむかし駄菓子屋というお店があって、そこでは駄菓子が平面に並んでいるだけでなく、鍾乳洞のように狭い空間にメクリが上からぶら下がっていたり、…
種村季弘『徘徊老人の夏』ちくま文庫二〇〇八年七月十日 第一刷発行を少し読んだ。題名からして昨日読了した中村真一郎『人生を愛するには』とは違う。中村真一郎が知識人や碩学の人といったエリートたちとの交友、交遊関係に生活の大半があったのに対し、種…
中村真一郎『人生を愛するには』、最終章「XII 死後の生について」を読んだ。《 もうひとつ、耐えがたく厄介なことは、私にはこの半世紀以上のあいだの、それぞれ異なった時期に、「唯一の人」として交った女性の数が少なくとも十人はいる。 》232頁 いやあ…
中村真一郎『人生を愛するには』、「IX 友情のさまざまについて」を読んだ。何とも多才な友人たち。一例。《 私の友情の点で、やはり大学時代にはじまり、生涯つづき、私の王朝文学研究のための生き証人となってくれた貴重な友人は、元伯爵坊城俊民だった。 …