狼煙を見よ

 夏至。きのうもきょうも雨。これでは狼煙(のろし)を上げるのは難しい。狼煙=世間に事を起こすことを知らせる。

 松下竜一『狼煙を見よ』河出書房新社1987年再版を読んだ。副題「東アジア反日武装戦線”狼”部隊」。1974年8月30日昼、東京丸の内三菱重工業本社前で時限爆弾が爆発、通行人八人死亡、385人重軽傷の犯人たちの事件までの軌跡と、事件後を克明に描写したノンフィクション。この事件を始め、一連の爆弾事件に深い関心は抱かなかった。自身の問題で一杯一杯だった。それから十年以上経った1987年にこの本が出た。面白そうな(後日読むだろう)新刊本は、昭和には買っていた。やっと読んだ。今読んで正解。

 身も心も根無し草のように揺れ動いていた当時(十代末〜二十代)の心境がまざまざと甦る。「プロロ−グ」で松下は自身を回想して書いている。

《 長男としての私はこの家庭を守るために自身の夢は総て押し殺して、朝は午前三時前から起き出て黙々と働き続けた。ようやくの救いは、二十代半ばでの短歌との出遭いであった。 》

 生まれも育ちも時代も場所も違うし、松下ほど悲惨ではないが、同じような若き日を過ごした。私の出遭いは短歌ではなく、味戸ケイコさんの絵だったが。

《 こんな時代を私はどのような生き方をすればいいのか。私は今まで、ただ誠実におのが家業に精出し、人々においしい豆腐あぶらげを提供することを生き方としてきた。 》 98頁

 当時の悩みと重なる。こんな読み方をしてはいかんだろうが……。

《 私はこのうえない臆病者で弱虫だから、人を傷つけることなど絶対にできないのだ。 》 98頁

 俺のことかい。

 松下竜一は隣町で始った巨大火力発電所建設に反対運動を起こしたが。

《 確かに私達は爆弾を仕掛けたりはしなかった。だが眼前の沖で傍若無人に捨石を続けている工事船に対し、岸に立ち尽くす私は幾十度怒りをこめて仮想の銃口を向けたことか。 》 140-141頁

《 あのときの私の激情から武器を持つまでには、ほんの一歩の距離だったかも知れぬと思うのだ。 》 141頁

 赤坂〜霞ヶ関〜永田町を行くデモの度、建設会社のビルと機動隊を見やって、自身、破壊衝動と殺意がよぎらなかった、といえば嘘になる。

《 こうは考えることができませんか。何もしない者は、それだけ間違いも起こさぬものです。そして多くの者は、不正に気付いても気付かぬふりをして、何も事を起こそうとせぬものです。 》 179頁

 間違い、あるいは勘違いつづきの訂正補正人生だったけど、それでも、よし。それはさておき。”狼”は、取り返しのつかぬ勘違いと間違いをしでかした。そこを誠実に深く見通そうとした優れたノンフィクションだ。父親の世間への対処の仕方に、同時代の赤軍派をモデルにした円地文子の小説『食卓のない家』を連想。

 ネットの見聞。

《 「増税先送りの可能性」「児童ポルノ法廃案の可能性」。参院選後はなかったことになる談話。 》

 ネットの拾いもの。

《 『日本国憲法』(小学館)にサインが入っていたら貴重だよね。誰のって、一人しかいないが(もういないか)。 》

 手元の『日本国憲法講談社学術文庫1993年13刷は、当然サイン無し。

《  「隣のオヤジ、毎日家にいるから失業者かと思ったら、ネットビジネスで社長やってんだって」。そう言うあんたも毎日家にいるね。 》

 私?