『日本文学史序説 上』六

 加藤周一『日本文学史序説 上』ちくま学芸文庫2009年8刷、「第六章 第三の転換期」を読んだ。

《 一六世紀の半ばから一七世紀の半ばに到るおよそ一○○年間は、二重の意味で日本史の転換期であった。
  第一に、国際的には、西洋の影響がはじめてこの国に及んだ。(略)
  第二に、国内的には一三世紀以来分散する傾向の著しかった武士権力が、この時期には逆転して、求心的傾向を示す ようになった。織田信長の全国統一にはじまり、豊臣秀吉を経て、徳川家康と初期の徳川政権に到る過程は、軍事独裁政権が 権力を中央に集中していった過程である。 》 406-407頁

《 けだし信長の「開国」は、権力の獲得のために行われ、徳川政権の「鎖国」(一六三五)は、獲得した権力の維持の ために、行われた。 》 419頁

《 一五世紀には将軍から大衆まで同じ桟敷に集って猿楽を見物していたが、一七世紀には早くも武士は能を、町人は 歌舞伎を見物するようになっていた。これほど鮮かに二つの時代の二つの社会相違を示す現象も、他にない。 》 421頁

《 しかし美術の世俗化が真に徹底したのは、一六世紀後半・一七世紀前半の一○○年であり、建築・絵画・工芸のすべてが、 全く世俗的な題材を扱い、全く世俗的な目的に奉仕するようになったのは、この時期である。宗教生活と芸術との分離は 画期的であり、決定的であって、再びこの国の芸術が宗教と相渉ることは、今日に到るまで決してなかった。 》 442頁

《 一六世紀末・一七世紀前半の大衆的な文芸には、新たに加わった二つの要素がある。その一つは印刷技術であり、 もう一つは「郭」の制度であって、いずれも徳川時代を通じて大きな意味をもった。 》 449頁

《  世の中に絶へて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 『伊勢物語
   世の中に絶へて妻子の無かりせば今の心はのどけからまし  『仁勢物語』  》 453頁

《  つゐにゆく道とはかねてきゝしかどきのふ今日とは思はざりしを  『伊勢物語
   終に行く道には金もいらじかと昨日経読む僧に呉れしを  『仁勢物語』  》 453頁

《 仏教を非日常的な世界へ追いやったままで、一七世紀の大衆は、『このふはけふの物語』に笑い、「説経節」に泣き、 そうするとき彼ら自身の感情をもっとも生々と表現していたのである。 》 458頁

《 かくして徳川時代は、支配層と大衆の文化の分裂からはじまり、価値における義理と人情や行動における表と裏の 二重構造が、そこに絡むことになる。転換期は、一六世紀後半・一七世紀前半の一○○年間にあった。いわゆる「元禄文化」 の終る一七世紀後半には、そのすべての結果があらわれるだろう。 》 460頁

 ネットの見聞。

《 性質一変なら「普通の団体」も処罰 「共謀罪」政府統一見解 》 東京新聞
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201702/CK2017021702000129.html

《 しかし安倍昭恵さん「家庭内野党」を宣言し、反原発ぽくふるまい、マイノリティ擁護のデモにも参加していたが、 靖国真珠湾に登場し、三宅洋平とともに高江に登場し、友達が大麻でパクられたと思えば、 ついにはカルト小学校の名誉総裁ですか。

  なんなんでしょうね。 》 こたつぬこ
 https://twitter.com/sangituyama/status/832179285100081152

 ネットの拾いもの。

《 「サラリーマン川柳」の投票が2月13日に始まりましたが、これに続いて、
知る人ぞ知る「オタク川柳」の投票も2月15日に始まりました。 》 BuzzFeed  https://www.buzzfeed.com/keigoisashi/otaku-senryu-12-2?utm_term=.otEqkPk9e#.vb25RKRQ9

 私的好み。
   6. 逃げ恥だ? こちらは常に 生き恥よ
   7. 君と出逢い 沼に落ちる 音がした

《 今現在、ソ連邦に加盟する共和国が(まあ、なんか訳わからん自称の微妙なやつ以外では)いない以上、 日本が加盟を宣言すれば、日本こそがソヴィエト連邦の本体となり、次の連邦憲法も作りまくりなわけである。 チャンスだな。 》 総統
 https://twitter.com/soutou_d/status/832211888343654401

《 「貧乏男と結婚するのは連帯保証人になるより恐ろしい!」(週刊新潮) 》