香美市立やなせたかし記念館から『やなせたかし記念館NEWS』76号が届く。以前やなせたたかしの著作や関連本を段ボール箱に詰めて寄贈したから。 数冊の本は手元に残した。その一冊がやなせ・たかし『まんが集 無口なボオ氏』サンリオ1976年11月1日発行。私の誕生日だ。あとがき。
《 僕の詩も絵もメルヘンも
またその他のすべての仕事も
原型はこの漫画集の中にある
ぼくはここから出発したが
帰っていくのもまたここしかない 》
このあとがきを読むと、まだ手元に置きたい。味戸ケイコさんの絵を人にあずけたくないないように。今も心を慰撫してくれる絵、本はなどは手放す気には ならない。当然だが。けれども、私以上にふさわしい人、必要とする人がいれば、その人にあずける。何点かの美術品はあずけた。後悔はしていない。
それはさておき。美術品の価値の変転、作品の流転を見ると、歴史の大海で何が浮き何が沈むのか考えさせられる。またかと思われるが、伊藤若冲のように、 審美書院から明治37(1904)年に『若冲名画集』が出版されるほどに知られていた。それが第二次大戦後には忘却の底に沈んだ。この忘却はどのようにして 起るのだろう。芸能人の浮き沈みとは違うのか、同じなのか。人の心はワカラナイ。と、言うしかない、今の私は。ただ、未来の見者を信じて味戸ケイコ、安藤信哉、 北一明らの作品を後世へ伝える。しかしなあ、死後のことだからワカンナイ。願わくは、作品を評価する人によって大事に保管されんことを。
ネット、いろいろ。
曇っているので朝、源兵衛川中流部、三石神社から下源兵衛橋までのヒメツルソバを抜く。土のう袋半分弱。途中で晴天に。暑い〜。シャワーを浴びる。
《 ゆえに芸術を〈つなぐ〉とか〈活用する〉といった言説はもっての外なのである。そうした〈外部化〉からではなく、人々のなかで〈既につながっている〉 何かから眼差していかなければならない。その何かとは、芸術と呼ばれる必要もないほど〈生きられている〉ものである。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/912625022304260096
《 沖縄で辺野古新基地建設反対運動する人たちを「日当出ている」などと揶揄していた人たちがいて、なぜそんな発想をするのだろうと 不思議に思っていましたが、最近ようやく腑に落ちました。彼らが日当もらっていたからですね。 》 Koichi Kawakami
https://twitter.com/koichi_kawakami/status/912515797532078082
《 アメリカではトイざらずが破産→日本では生きてる
アメリカではyahooは買収→日本では元気
アメリカではDVD屋絶滅→日本のツタヤは元気
アメリカはイエローキャブが破産→日本のレガシーは元気
経営努力してるのもあるけど、そもそも日本の新陳代謝が遅いんだろうな。 》 Junya Hirano 平野淳也
https://twitter.com/junya_1991/status/912654690319347712
《 信じられない昭和の常識で打線組んだ 》 哲学ニュースnwk
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5271769.html