『原子力時代における哲学』三(閑人亭日録)

 國分功一郎原子力時代における哲学』晶文社2019年初版、「第四講 原子力信仰とナルシシズム」を読んだ。

《 何故かと言えば、地球は生物用にはできていない、ましてや人間用にはできていないからです。地球は単に地球であって、人間用に作られたものではない。 》  「2 贈与、外部、媒介」 260-261頁

《 あるいは石油や石炭といった化石燃料も、ある有機体が化石化してできたものですから、これも「媒介された太陽のエネルギー」です。だから、わずかしかない 生態圏の中で人類は、様々な仕方で媒介された太陽のエネルギーを受け取り、それを利用することで生きてきた。 》 「2 贈与、外部、媒介」 261頁

《 だから「原子炉内で起こる核分裂連鎖反応は、生態圏の外部である太陽圏に属する現象である」というわけです。 》 「2 贈与、外部、媒介」 262頁

《 原子力技術が媒介の排除を目指しており、そのために生態圏の外部にあるものを内部に持ち込もうとしているという規定は非常に鋭いものだと思います。 これは原子力技術の存在論的な定義といってもいいかもしれません。 》 「2 贈与、外部、媒介」 265頁

《 一神教の方は僕はよく分からないんですが、資本主義と同型であるという主張は妥当だろうと思います。近代経済学というのは、外部からの手助けなしのシステムを 理想とする意味で、原子力技術にそっくりです。 》 「2 贈与、外部、媒介」 265頁

《 ならば何を考えなければいけないか。既に問題は見えています。それは、なぜ我々は原子力をこれほどまでに使いたいと願って来たのかという問題です。 言い換えれば、なぜ我々はこれほどまでに原子力に惹かれるのか。この気持の理由にまで到達しなければ、真の脱原発にはならない。 》 「2 贈与、外部、媒介」  268頁

《 なぜ人間は危険を冒してまで原子力を利用しようとするのか。 》 「3 贈与を受けない生」 270頁

《 そうすると次の問題は、なぜ人間は「贈与を受けない生」を欲望してしまうのか、となります。 》 「3 贈与を受けない生」 274頁

《 ナルシシズムはある種の全能感と結びついています。 》 「3 贈与を受けない生」 274頁

《 「贈与を受けない生」はこの全能感への憧れとして考えることができます。 》 「3 贈与を受けない生」 276頁

《 原子力が「贈与を受けない生」を実現することを強く欲望する信仰であること。それは人間の二次ナルシシズムに根をもつのではないか。 》  「3 贈与を受けない生」 277頁

《 なぜ原子力が悪魔的な魅力をもっているかというと、人間の心の根底にあるそうした弱さに付け入ってくるからだと思います。 「3 贈与を受けない生」 278頁

《 「人間はなぜこんな技術を使いたくなってしまうのだろうか」と思惟を巡らせ、この技術の持つ意味、その秘密=謎を受け取れるような放下の状態に至ること。 この技術の意味がすっと心の中に入ってきたとき、「自分たちが原発を使いたいのは、失われたあの全能感を取戻したい、何にも頼らずに生きていける完全に自立した 状態を獲得したいという気持ちがどこかにあったからかもしれない」と思えるようになるのではないでしょうか。 》 「3 贈与を受けない生」 281頁

《 原子力技術の意味、つまり「贈与を受けない生」なるものの意味を一人一人が受け取って、「そんなことあり得ないのに、なぜこんなことを思っていたんだろう」と 考えるようになること。それが最終的な脱原発だと思います。 》 「3 贈与を受けない生」 282頁

《 そして繰り返せば、この意味を考える際には、精神分析が大きな手助けになると思います。ナルシシズムの概念を経由することで、「贈与を受けない生」という 概念の様々な側面が見えてきます。 》 「4 結論に代えて」 285頁

 「付録 ハイデッガーのいくつかの対話篇について──意思、放下、中動態」を読んだ。

《 最初ニーチェに付き従っていたように見えるはハイデッガーは、そこから離反するだけでなく、最終的にニーチェの「力への意思」を批判するようになる。 》  293頁

《 ただ指摘できるのは、その批判の中で取り上げられている形而上学が、意思あるいは意思的主体との共犯関係にあるものとして定義されていることである。 》  295頁

《 なぜ形而上学批判に言及したかというと、よく知られているように、ハイデッガーは自らの用いる西洋のことばそのものが形而上学のことばであると述べている からである。つまり西洋のことばが形而上学のことばであり、形而上学が意思の形而上学であるならば、ハイデッガーが乗り越えようとしたことばとは、意思に支配 されたことば、あるいは形而上学に支配されたことばであると考えることができる。》 295-296頁

《 放下は意思の形而上学からの脱却、それに支配された近代技術からの脱却を明確に指し示した語である。 》 300頁

《 放下を巡っては、意思によるコントロールの排除が徹底されている。 》 304頁

《 意思が、能動と受動の対立によってもたらされる効果であるとすれば、意思の外部に至るという課題は、能動と受動に支配された言語の外に出ることを要請する だろう。(中略)これを考える上で大変参考になる文法事項がある。「中動態」である。 》 305頁

《 というのも、現在、能動態と受動態が対立しているように、かつては能動態と中動態が対立しており、受動は中動態が担う意味の一つにすぎなかったからである。 この点が理解されないと、能動態と受動態の対立の中に中動態を位置づけることになってしまう。 》 306頁

 中動態はじつに興味深く、これからの哲学の一つの方向性を表していると思うが、説明はなかなか難しい。

《 本書の元となったのは六年前に行われた連続講演であるが、これほどまでに完成が遅れたのはその責任を担うだけの勇気を筆者が持ちえなかったからである。 》  「あとがき」 316頁

 『原子力時代における哲学』読了。あるべき時代の姿を考える人にはオススメの本だ。

 朝九時前から我が家の前をぞろぞろ行き交う人たち。JR東海のさわやかウォーキング。しかし、この順路、わかりにくい。
 「JR東海 さわやかウォーキング 三島」
  https://walking.jr-central.co.jp/course/detail/1519.html
 午後、境川清住緑地の作業に参加。四時過ぎ帰宅。コーヒー。旨い。ふう、疲れた。早めの夕食。
  http://www.gwmishima.jp/modules/information/index.php?lid=2069&cid=1

 ネット、うろうろ。

《 ジジイになって痛感していること。疲れやすくなるというより、疲れがなかなか取れなくなるのだナ。というわけで、最近は無理して疲れないようにすることを 心がけている。 》 赤城毅/大木毅
  https://twitter.com/akagitsuyoshi/status/1195342945047629824

《 内閣府、質問資料要求の当日「名簿捨てた」 国会・国民軽視の異常事態 》 毎日新聞
  https://mainichi.jp/senkyo/articles/20191115/k00/00m/010/297000c

《 最新マシンが古典的な罠にはまる動画 》 平成を忘れないbot
  https://twitter.com/HEISEI_love_bot/status/1195537614926778369