萩原朔太郎第六詩集「氷島(表頭)」昭和九年(1934年)六月刊行で、記憶に深く刻み込まれている詩は、昨日の「漂泊者の歌」と「帰郷」の二篇。冒頭の二行、「わが故郷に帰れる日/汽車は烈風の中を突き行けり。」が、東京から三島へ東海道線の各駅停車で帰る大学生には、ひどく親近感を覚えた。自身が悲壮極まる人間に思えた。今では苦笑するしかないが、そんな気分だった。なぜだろう。恋に縁がなかったからだろう。
《 「帰郷」
昭和四年の冬、妻と離別し二児を抱へて故郷に帰る
わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒(めざ)むれば
汽笛は闇に吠(ほえ)え叫び
火焔(ほのほ)は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。
夜汽車の仄暗(ほのぐら)き車燈の影に
母なき子供等は眠り泣き
ひそかに皆わが憂愁を探れるなり。
嗚呼(ああ)また都を逃れ来て
何所(いづこ)の家郷に行かむとするぞ。
過去は寂寥(せきれう)の谷に連なり
未來は絶望の岸に向へり。
砂礫(されき)のごとき人生かな!
われ既に勇気おとろへ
暗憺として長(とこし)なへに生きるに倦(う)みたり。
いかんぞ故郷に独り帰り
さびしくまた利根川(とねがわ)の岸に立たんや。
汽車は曠野(くわうや)を走り行き
自然の荒寥たる意志の彼岸(ひがん)に
人の憤怒(いきどほり)を烈しくせり。 》
今読むと、最後の二行が気になる。自然の荒寥たる意志の彼岸、とは。塚本邦雄第六歌集『感幻樂』1969年1月1日刊行の一首を想起。
《 瞋(いかり)りこそこの世に遺す花としてたてがみに夜の霜ふれるかな 》
「新年」という詩は記憶にないが、その一行、「見よ! 人生は過失なり。」は、若き日の心に重低音のように響いていた。
「動物園にて」冒頭一行。
《 灼(や)きつく如く寂しさ迫り 》
に、塚本邦雄第二歌集『装飾樂句(カデンツァ)』1956年刊行、冒頭の短歌を連想。
《 五月祭汗の青年 病むわれは火のごとき孤獨もちてへだたる 》
じつをいえば、萩原朔太郎を再読し始めてすぐこの短歌が浮かんでいた。まさか、こんな詩があったとは。