萩原朔太郎第六詩集『氷島(ひょうとう)』昭和九年(1934年)六月刊行を『日本の詩歌 14 萩原朔太郎』中央公論社昭和43年1月13日初版発行で久しぶりに読んだ。今世紀初の再読だろう。「自序」が読ませる。冒頭を引用。
《 近代の抒情詩、概(おほむ)ね皆感覚に偏重し、イマチズムに走り、或は理智の意匠的構成に耽(ふけ)つて、詩的情熱の単一な原質的表現を忘れて居る。却(かへ)つてこの種の詩は、今日の批判で素朴的なものに考へられ、詩の原始形態の部に範疇(はんちう)づけられて居る。しかしながら思ふに、多彩の極致は単色であり、複雑の極致は素朴であり、そしてあらゆる進化した技巧の極致は無技巧の自然的単一に帰するのである。芸術としての詩が、すべての歴史的発展の最後に於(おい)て、究極するところのイデアは、所詮ポエヂイの最も単純なる原質的実体、即(すなわ)ち詩的情熱の素朴純朴なる咏嘆(えいたん)に存するのである。(この意味に於て、著者は日本の和歌や俳句を、近代詩のイデアする未来的形態だと考へて居る。) 》 306頁
参ったなあ。私が最近到達した美術(芸術)への見方、考えを、九十年前に披露している。もてはやされている日本の近代現代美術(芸術)の多くが、西洋美術(芸術)の擬制、擬製ではないか、と最近考えているが、その先覚者がいた。
第一篇「漂泊者の歌」第一連。
《 日は断崖(だんがい)の上に登り
憂ひは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方(かなた)
続ける鉄路の柵(さく)の背後(うしろ)に
一つの寂しき影は漂ふ。 》
中学一年の秋、東の箱根山に向かう東海道線の跨線橋に佇み、西の三島駅へ向かうスーッと伸びる線路と遥かなる夕暮れの空を眺めた。暮れなずむ光景に孤独ということを思った。数年後、この詩に遭遇。忘れ得ぬ詩。