昨日富士市のブックオフで榊原悟『日本絵画のあそび』岩波新書 1998年8月29日 第1刷発行帯付を120円で購入。「遊び」ではなく「あそび」に惹かれた。
北一明の仮称「油滴平鉢」約7cm×約18cm、重さ約1キロを鑑賞しているが、内側全体に広がる油滴文様をのぞき込むと、宇宙の奥底を望んでいる気がしてくる。北一明はこうした作品の制作について、死に物狂いで何度も試作した、ということを書いている。
《 にもかかわらず、折角その積み上げたあらゆる角度からのアプローチの仮説成果を、より高次元の美を狙うために、ついもうひとひねりしてしまうことによる新たな冒険(つまり意識して、同一条件での同一の釉薬で同一焼成方法で一度として同じものを焼成しないのが、私の表現方法と主義、信念であり、絶えず頭の中にえがく未知のイマージュに向かって新たな創造の道を歩んでいる関係上)へ追いやることによる破綻から、一窯(と言っても、その度に釉の全く異なった性質のものを十種類以上詰めている)全部駄目なこともしばしばで、ひどい時には十窯も続けて失敗することもあり、そういう事態になるということは、三ケ月間くらいはほとんど不眠不休の仕事内容となることを意味するので、文字通り「斃れてのち已(や)む」の捨身の精神による仕事になるということなのである。これは、自覚しながらこの案件に自らを追い込んでいく正気の中の狂気の営為となってゆくのである。 》 『ある伝統美への反逆』三一書房1982年3月31日 第1版第1刷発行、55頁
そんな楽屋裏(制作現場)のことは、個展への来訪者の殆どはご存じないだろうし、苦労話は聞きたくないだろう・・・それは措いて。今、卓上に置いて鑑賞している厚い(重い)平鉢だが、内側は宇宙。外側は縄文土器の彫刻文を連想させる。内側の滑らかな湾曲面は、人為を超えた炎焼成による油滴・宇宙。外側には箆(へら)で彫(削)られた彫刻文が一面に見られる。外側はある意味、子どもが描いたような、また、意味のある文様のような。それは子どもの遊びではなく、「あそび」なのだ。内側と外側の非対称性。これが、この優れた陶芸作品の見どころの一つだろう、と気づいた。