『現代の美術 art now7 集合の魔術』講談社 1971年7月25日第1刷発行、高階秀爾・編著、巻末の「集合の美学」を読んだ。
《 「断片化への欲求」は、古典主義の美学に正面切って反対したロマン派の登場とともに始まった。(引用者・略)
印象派とまったく同世代であり、19世紀における最後のロマン主義者とも言うべきロダンが、断片の持つ魅力にとり憑かれていたことは広く知られている。画商のヴォラールは、ある時ロダンが、アトリエのなかで、自分の作品をハンマーで片端から打ちこわしているのを目撃したと語っている。人々が、ロダンは気でも違ったのではないかとびっくりしていると、彼はその荒々しい破壊の後で、飛び散った彫像の腕やトルソーを拾いあげて、それをじっとながめながら、「美の荒廃は完成された美よりもさらに美しい」とつぶやいていたという。 》107-108頁
びっくり! 一昨日28日の「日録」に載せた拙文「美は切片に顕れる」につながっている。
また、昨日の「日録」での『現代の美術 art now7 集合の魔術』の最後の引用、
《 しばらくのあいだ現実のわずらわしさを忘れていればよいのである。 》
に、白砂勝敏『水の記憶』に寄せた拙文の結びを想起。
《 それは見る者の心を、その型にはまった正装=知識を気づかずに解き、ふっと気楽に、開放的にする。心は解放へ向かう。 》
https://shirasuna-k.com/gallery-2/memory-that-water-has/
「集合の美学」で語られている20世紀の作品は、21世紀の内野まゆみ、白砂勝敏らによって進化したかたちでつながっているように思える。それを私は象徴的に「縄文」と呼び、その作家たちを「KAOSU」(北一明、味戸ケイコ、奥野淑子、白砂勝敏、内野まゆみ)と勝手にくくった。現代美術の世界とは縁のない作家たちだ。それにしても、『現代の美術 art now』で紹介されている現代美術作品だが、手元に置きたいと思う作品に出合わない。
『現代の美術 art now7 集合の魔術』、読了。