個展の打ち合わせ(閑人亭日録)

  朝から外出。午後、近所のギャラリーVia701で白砂勝敏さんと友だちのデザイナーの三人で二月下旬の白砂勝敏展について打ち合わせ。夕食をはさんで話は続く。 午後七時半帰宅。ふう。けっこう疲れたと気づく。

 ネット、うろうろ。

 

《  はんだ付けアートコンテスト2019 2位入賞いたしました。

  先日のトロフィーと賞状に続き~本日、副賞が届いた~

  カネ吉山本の近江牛しゃぶしゃぶ用肉500グラム\(^o^)/ 》  白砂勝敏の活動日記
  https://ameblo.jp/steampunk-powerstone-art/entry-12562380456.html


《  悪名高かった「極東のこだま」

  「極東のこだま」藤沢市の池田茂幸氏(51)に、罰金30万円の略式命令。被害者は「長い長い3年半だったが、社会正義がやっと示された」と話しました。

  人種差別的投稿で罰金30万円 迷惑行為防止条例違反、川崎 | 2019/12/27 - 共同通信 》 みやけ雪子(世の中を変えるために声をあげよう)
  https://twitter.com/miyake_yukiko35/status/1210512320616513538

《  安倍総理がシェアしたことで有名な保守速報ですね。

  「保守速報」管理人・栗田香の名前を大阪市が公表、ヘイトスピーチと正式認定 | BUZZAP!(バザップ!) 》 T-T
  https://twitter.com/tcy79/status/1210494953052262400

《 小泉進次郎の意味不明発言を、「ポエム」と云うの、いい加減やめてくんないかな.. ポエムも、詩も泣くよ.. 》 Pippo
  https://twitter.com/pippoem/status/1210484954133495808

《 オブジェクト指向はもう古い。これからは棟方志功だ。 》 mattn
  https://twitter.com/mattn_jp/status/1210352518347182080

《 「南無八幡大菩薩」と打ちたかったのに「南無八幡だいぶ雑」と出たので休憩します。 》 米澤穂信
  https://twitter.com/honobu_yonezawa/status/1210443502015746048

《 申し訳ないけど今年で1番笑った 》 他人ちゃん
  https://twitter.com/220021/status/1210272168266747904

再読『「敗者」の精神史』八(閑人亭日録)

 山口昌男『「敗者」の精神史』岩波書店1995年初版の再読を進める。「14 幕臣の静岡──明治初頭の知的陰影」を読んだ。

《 敗者の身の処し方は勝者と異なって、自然・人間・文化に対して、もうひとつの視点を形づくっていくというところにあるはずであった。旧幕府の或る部分には、 そうしたオルタナティヴを追求する動きがあった。静岡移住の旧幕臣の知的部分の層は、以下に見る如く厚いものであったのである。 》 507頁下段

 知的部分の層、なんだなあ。知っている名前がいくつも出てくる。それが違った側面から語られる。

《 今日各分野の学問が目ざしている学問の形は、事実のヒエラルキーにある。一定のパラダイムの中で、或る一群の事実に上下関係と因果関係を持たせて事実間の階層秩序 を特定するというのは、近代の実験を基礎にした科学である。それに対して江戸期以前の知識は、因果関係より、曼陀羅的な配置を重んずるものであった。従って物質及び 生物においては本草学または博物学が、事的世界においては随筆的な形態をとることが多かった。 》 535-536頁

《 山中共古はむしろこのような系譜の学者のグループに属していたと考えてよい。従って共古が友としたのは市井の学者、芸術家であった。 》 536頁上段~下段

《 ここに柳田(国男)の学問政治を克明に一人ずつ説くのも興なしとしないが、紙数がそれを許さない。しかし、共古と南方熊楠だけは、さすがの柳田をもって しても排除不可能な存在であったようだ。 》 536-537頁

《 薩長閥を中心に原型が形成された、近代日本の単一階層分化社会による学歴・政治・経済の堅い組織が行きづまりを見せている今日、薩長閥的官僚機構から排除されるか 、一歩外へ出た人士が形成したネットワークは、人は何をもって他人と繋がるかという点で示唆するものが極めて大きいと言わねばならないだろう。 》 540頁下段

 この前の文で「好縁社会」(ネットワークとも言う)という言葉を見せている。ネット社会になって、現在進行形だろう。その巨大な形が「コミック・マーケット」か。

 「結びに替えて」を読んだ。

《 シカゴ大学で人類学を教えていたフレデリック・スターは、松浦武四郎のごとく、一風変わった人物として知られていた(ヘンリー・スミス)。 》 550頁上段

《  スターの日本熱は病膏肓に入り、次のように訪日を繰り返す。
  《四十三年にシベリアを経て、倫敦(ロンドン)の日英博覧会、ブラツセルスの万国博覧会に寄り途をしてシカゴに帰つたが、その翌年の四十四年三月にまた第三回の 来朝。 》 552頁上段~下段

 明治四十三年の日英博覧会。あの審美書院の田島志一が気を吐き、大いに売りまくった博覧会だ。「【田島志一と審美書院】山崎純夫」から。

《 古画縷々記は、田島志一の古社寺の国宝や個人の蔵品を展観して材料蒐集の旅の記録であるが、その(六)に「目下出版中の東洋美術大観は来年の日英博覧会に出品して 大いに東洋美術の為に気焔を吐こうというので其の全部出版を急速力で進めて居る」(中略)このような図書が出品された日英博覧会は、「美術之日本」によると 「倫敦に於ける審美書院の大成功」とあり 名誉大賞を受賞したようだ。自営出品の売店の浮世絵葉書、カレンダー、一枚絵は売りつくしたとある。  同行の編集員の相見繁一は、追加を送るべく帰朝している。 》 
  http://web.kyoto-inet.or.jp/people/artbooks/kusa13.html

《 本書で説いて来たのは、日本近代の公的な世界の建設のかたわらに、公的世界のヒエラルヒーを避けて、自発的な繋がりで、別の日本、もう一つの日本、見えない日本を つくりあげて来た人がいたということである。(中略)しかし、一度、眺望あるいはその手がかりが得られれば、二十一世紀に日本が生き残るために見習わなければならない のは、これら「敗者の視点」で日本近代を見つめて生きた人々であることが明らかになる。 》 555頁上段

 山口昌男『「敗者」の精神史』岩波書店1995年初版、再読終了。出版から四半世紀。上記の提案は喫緊のことと思うが。

 例年より遅れて真冬の服を取りだす。今冬は新しく買うものはないな。これじゃ景気は冷え込むわあ。

 ネット、うろうろ。

《 ブラック企業川柳2019結果発表 》 ブラック企業被害対策弁護団
  http://black-taisaku-bengodan.jp/burasen2019/

《 逆に言えば、内閣府の職員が全員口裏を合わせて「文書は捨て、記憶はないからわからない」と横並びでバカ揃いのふりをする異常事態は、そうでもしなければ 誤魔化せないほど重大な事実が、廃棄された行政文書と「消えたふり」をする記憶に存在するということ。内閣総理大臣が一発で職を失うインパクト。 》 山崎 雅弘
  https://twitter.com/mas__yamazaki/status/1209774807190884353

《 こういうヤラセに唯々諾々と従ってきたのが大手メディアの記者たち。モンスターに餌をやって巨大化させ、憲政史上例を見ないほど傲慢で、憲政史上例を見ないほど 夫婦で権力を私物化する権力者を育てた。いい加減に誰か内部から声を挙げたらどうか。いつまで国民をだますのか。 》 山崎 雅弘
  https://twitter.com/mas__yamazaki/status/1209778108867309568

《 これですね 》 惑星時代 リターンズ
  https://twitter.com/Kazc0t0v8ii8/status/1209720220396351488

《 不倫を見る会を早急に 》

再読『「敗者」の精神史』七(閑人亭日録)

 山口昌男『「敗者」の精神史』岩波書店1995年初版の再読を進める。「12 「穢い絵」の問題──大正日本の周縁化された画家たち」を読んだ。

《  さて、一九九三年秋の京都では、もう一つの興味深い展覧会が行われていた。「京の美人画展」(京都文化博物館)がそれである。(中略)百二十点にのぼる出品作を 見ていると、たしかに(土屋)麦僊の位置はどんどん後退していくのに反して甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと)の位置がどんどん前へ押し出されて来る。
  この展覧会で特に人目を瞠らせるのは楠音の先覚者の作品だと誰しも思うであろう。(中略)
  (祇園)井特の生涯はよくわかっていないらしいが、「虎御前と蘇我十郎図」などには、明らかに「風俗画」の影響が見られる。 》 469頁上段~下段

 甲斐庄楠音祇園井特も四半世紀ほど前から気になっているが、未だ現物を観ない。
  http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=150362
  https://www.sankei.com/west/news/181226/wst1812260025-n1.html

 月刊『芸術新潮』新潮社、1991年7月号「特集 日本画よ、何処へ  大正日本画の逆襲」を開く。当然だが、甲斐庄楠音も掲載。それから1994年3月号「特集 常識よ、 さらば! 日本近代美術の10章」を開く。「第4章 忽然と消えた南画 鉄斎だけがなぜ生き残った?」田中日佐夫が興味深い。

《 しかし、明治も十年代後半となれば、中央集権を押しすすめ、これによって富国強兵と脱亜化を達成しようとする中央政府の意思はきわめて強くなる。彼らは各地に 現実を変革し、心に桃源郷を抱く激情の人の存在をゆるさない。強権を発動する。ここでまたあえていうならば、政府が各地の自由民権運動を弾圧する時期(群馬事件などは 明治十七年)と、南画滅亡の時期がほぼぴったり一致することを想起してもらいたのである。私は南画の否定と自由民権の弾圧とは、歴史の流れの中でパラレルに起こった ことと思わざるをえないのである。 》 30頁中段~下段

《 その(富岡)鉄斎を深く意識して、セザンヌとともにおのが芸術に取りれようとしたのが、大正デモクラシーの申し子のごとき国画創作協会の創立会員、土田麦僊と 小野竹橋(喬)であったことも偶然ではあるまい。 》 30頁下段

《 しかしこの評言は、麦僊の限界を言い当てている。つまり、麦僊の画業は、次第に日常生活に向って閉じたものになり、日常生活を瓦解させても出現して来ようとする 何ものかの力に対しては、全面的に拒絶反応を示すに至るのである。 》 469頁上段

 「13 西国の人気者──久保田米僊の世界」を読んだ。以下のくだりで昨日の大ポカに気づいた。頓(ぬかずく)はネットにありました。 「頓智」で検索を思い至らなかった。
  https://www.kanjipedia.jp/kanji/0005357100

《 西行西行庵を開基し、西行桜と後に呼ばれる桜を植樹し、その下を徘徊して「ねがはくば花のもとにて春死なん」の歌を詠んだ事は、謡曲などでよく知られている。 この庵は応安五年(一三七二年)頓阿法師により再建せられたが、維新後は荒廃に帰していた。明治二十六年、この西行庵を再建したのが小文法師であった。 》 486頁 上段。

《 明治二十六年、京都府に出願して、許可を得て西行庵を再建、十一月進山式に際して小文法師が詠んだ狂句は、「ふる狸坊主となるが化けをさめ」であった。 》  486頁下段

《  さて、東京に移る少し前の米僊の姿を巧みに写し出したのは、意外にも鶯亭金升(おうてい きんしょう)である。
  金升自身もふつうの読者の視界から消えた存在である。が、最近ふとしたことから再浮上した。『新潮』一九九三年十月臨時増刊の「短歌俳句川柳一◯一年」に、金升の アンソロジー「狂句の栞」が収録され、金升について次のように紹介されている。 》 487頁上段

 『「短歌俳句川柳一◯一年』で確認。選者として掲載。彼の狂句は見当たらない。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%AF%E4%BA%AD%E9%87%91%E5%8D%87

《  米僊は生来ボーダーを容易に越える能力を身につけた人物であった。
  その辺りが、前章で取り上げた佐渡と京都しか知らなかった土田麦僊や、深くはあるが京都しか知らなかった甲斐庄楠音との違いであろう。この両者に米僊の拡がりが あれば、二人の宿命的な対立は別の形で解決を見たかも知れない。 》 489-490頁

《 ついでながら、当時刊行されていた『美術世界』という雑誌の一号から六号までの広告が、「大通世界」に載っている。天心、篁村、学界、美妙、鴎外、南翠、思軒、 三昧、石橋忍月、今泉雄作らが序を書いている画集らしいが、米僊の画はすべての号に載っている。(中略)かかわり合い方からいって、或いは米僊が編集に参加していた のかとも思われるが、実物を見ていないので確かなことは言えない。しかし、当時、東京における米僊の位置を示すものと言える。 》 496頁下段

 『美術世界』巻の一、春陽堂明治廿三年十二月廿二日刊を取り出す。序は、岡倉覚三、饗庭篁村、前田夏繁の三人が書いている。久保田米僊は「縁日圖」を載せている。 他の号でもこれと同様のほのぼのとした漫画的な画風。

《 さて、何度か強調したように、米僊は抜群の画技の持ち主であった。しかし、明治の多くの画家にあった大家志向はほとんど持ち合わせなかった。そればかりか自分が 拠って立つ場を次々にスライドさせることによって、常に未知の行為の文脈をつくり出し、時代の新しい相を切り拓く芸術を武器として定着させた。 》 503頁

 ネット、うろうろ。

《 東京のオルタナティブスペースをMAPにまとめてみた。 》 西田編集長
  https://twitter.com/_edit451/status/1209402459585536006

 昨日リンクした関内文庫も載っている。

《 本日、余命ブログ読者ら103名が原告となり、私を被告として総額5150万円を損害賠償請求してきた訴訟の判決がありました。無事、 「原告らの請求(選定当事者としての請求を含む。)をいずれも棄却する」「訴訟費用は原告らの負担とする」との判決を得ることができました。よかったです。 》  ささきりょう
  https://twitter.com/ssk_ryo/status/1209753609316917248

《 メリークリスマス 》 マキエマキ@自撮り熟女
  https://twitter.com/makiemaki50/status/1209620272443084800

再読『「敗者」の精神史』六(閑人亭日録)

 山口昌男『「敗者」の精神史』岩波書店1995年初版の再読を進める。「11 小杉放庵のスポーツ・ネットワーク──大正日本における身体的知」を読んだ。

《 今日であれば不可能な幅の広さで、さまざまな人を結びつけた(小杉)未醒の能力は、未だに主義が人を分かつ主要な要素になっていなかった時代の友情が何たるかを 雄弁に語っている。 》 404頁上段

 明治末の小杉未醒(放庵)の漫画絵には惹かれる。が、この章は・・・疲れる。その代わりいくつもの知らない漢字に出合った。以下列記。

  里諺  389頁上段 「りげん」だろうが、だとすると「俚諺
  測む  397頁下段 いたむ
  估らず  同上    うらず 「うる」
  揮洒   同上    きしゃ
  詛はれ 397頁     のろわれ
 パソコンに出ない漢字もある。「ぬかずく」と読む屯に頁は401頁上段に。

 この章ではなかったが「不見転」は「みずてん」と読む。みずてんの意味は知っていたが、 漢字は知らなかった。

 ネット、うろうろ。

《 関内文庫が現代アートアーカイブをリリースします!  》 関内文庫
  https://www.youtube.com/watch?v=QGXylM0SI40&feature=youtu.be

《 「已む」読めなかった? 安倍首相が歴史的儀式で驚きの大失言【2019年ベスト20 5月15日】〈AERA〉 》 AERAdot

  https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191203-00000037-sasahi-soci&p=1

再読『「敗者」の精神史』五(閑人亭日録)

 山口昌男『「敗者」の精神史』岩波書店1995年初版の再読を進める。「9 二つの自由大学運動と変り者の系譜」を読んだ。

《  車人形の伝承者の西川古柳の家と松井(翠次郎)宅は目鼻の先である。私は、西川師匠に松井についていろいろと語っていただいた。話はいきおい、この村に 昭和十八年に住みついた知的妖怪きだみのるに及んだ。きだみのるが恩方に来たのは、松井を頼りにしてのことであったことはほとんど周知の事実である。
  戦中戦後にわたって松井は三つの災難に見舞われた。第一は治安維持法による検挙である。(中略)
  第二の災難は自らが招いたもので、きだみのるの存在である。(中略)きだの乱脈をきわめた生活と、この映画ため、村人は、きだみのるを村に連れて来た松井を うらんだ。これが第二の災難であった(はた迷惑な自由人きたみのるの恩方村に対する忘恩的な仕打ちについては、誤解を避けるため、稿を改めて論じたい)。 》  309頁上段~下段

《 第三の災難は、山村工作隊が恩方の付近で活動して、中央の司令によってか、何かと松井をひきあいに出した。 》 309頁下段

《 松井はたしかに村人の大多数の目には変り者に見え、孤立していたようである。しかし変り者がいないことには共同体の生活は澱むことは明らかである。 》 310頁 上段

《 松井の苦闘は、村の中では孤立していたかも知れないが、大正日本の、「農村に起点を置きながら」自生的な知を求める運動の流れの中では、孤立していないばかりか、 今日からみれば燦然とした輝きを放っているのである。そのような意味で、松井も(宮沢)賢治も、限られた地域空間の中での変り者に過ぎなかったと言えよう。今日、 我々は時代の変り者を必要としているのかもしれない。 》 311頁上段

 「10 大正日本の「嘆きの天使」──吉野作造と花園歌子」を読んだ。

《 大槻文彦は、それほど表面化させなかったが、父磐渓は、東北諸藩同盟の文書に対する責任ゆえ、戊辰戦争後、裁判も受けず明治三年まで入牢、六年まで謹慎という 処分の対象となった。怒り心頭に発した文彦の兄如電は官を辞し、父の冤罪たることを証明するのに数十年を費やし、生涯二度と仕官せず、根岸派の文人の傍らにあって 薩長のつくりあげた国学をやりすごして生涯を送った。作造は父の職業ゆえ、戊辰戦役の直接被害者にはならなかったが、作造の周りにはそうした人物が数多く通り過ぎた と言える。 》 319頁上段

《 言うまでもなく、維新後の藩閥政府は、人間の欲望の全開を阻止して来た。それは身体の領域ばかりでなく想像力の領分までも押え込んだ。日清・日露戦役で国を 覆った愛国主義は政治の領域における反抗の姿勢の表明を不可能にし、大逆事件は、反抗の潜在的身ぶりをも抑圧の対象とする政治的威嚇の構えを制度化した。 「オールタナティヴ」(別の解決)探求の試みは至るところで押え込まれた。こうした閉塞状況から抜け出る努力の一つであった社会主義は、外から来る抑圧、内なる ストイシズム、或る孤立した運動の宿命とも言うべき非寛容性から、自由になる方法を見出せずにいた。 》 332頁下段

《 黒瀬春吉─花園歌子─吉野作造大槻文彦大槻如電といった繋がりで読むと、一冊の参考書目もなかなか油断ならぬところがある。 》 353頁上段

《 吉野の視点は、政治的にも蔭に置かれたものの復権が、民主(本)主義の気分的前提の中にあることを示唆している。こうした相対的な視点、政治的・文化的に 絶対不動の「中心」というものの存在を認めないという態度は、女性と男性、官と民、中国・朝鮮問題にも貫かれ、吉野の民主主義論の根柢をなしているようである。 》  365頁上段~下段

《  このように吉野において辺縁的と考えられる半ば匿れたコネクションに照明を当てると驚くべき魅力あふるる薄明の世界が出現してくる。そういう意味では凡百の 帝大教授と異なり、吉野は二つの世界のはざまに生きた人である言える。西欧と日本、東アジアと日本、権力と反権力、勝ち派と負け派、西南と東北日本キリスト教と 仏教、保守と革新、明治と大正という具合にである。
  従って吉野のコネクションとその延長線上にある人間は、多面体であることが多い。それゆえ関係のあり方が正であろうと負であろうと、吉野と何らかの関係に入った 人間を、今日の視点で判断してはいけない。そのあたりを安易に行なうと、時代の面白い部分がすぐ視界を去ってしまう。 》 368頁上段~下段

《 この後の(花園)歌子と正岡(容)は、大西信行小沢昭一麻布中学出身の芸能人やテレビ・プロデューサーらの仲間入りをする。 》 362頁上段

《 大西信行は、小沢昭一の依頼で小沢の出していた『芸能東西』に「正岡容(いるる)」を連載した。 》 363頁下段

 『藝能東西』八号(1977年)と十号(最終号、1977年)に大西信行正岡容 このふしぎな人」八回と十回。八号は「サーカス大特集」、十号が「ストリップ大特集」 なので購入。正岡容について仮面社と冥草舎の二人がいろいろ話していた。その後、仮面社から『正岡容集覧』1976年が出版された。今にしてワカル人の繋がり。

 ネット、うろうろ。

《 色々なものが繋がってくる予感。。 》 清水高志
  https://twitter.com/omnivalence/status/1208729435597262850

《  大槻文彦言海』。猫の語義の以下の部分にある窃盗に芥川が噛みついたりしました。
  温柔ニシテ馴レ易ク、又能ク鼠ヲ捕フレバ畜フ、然レドモ、窃盗ノ性アリ 》 愛書家日誌
  https://twitter.com/aishokyo/status/1208711314639663104

《 WEB言海「ねこ」 》
  http://www.babelbible.net/genkai/genkai.cgi

《 上手くゆかず、登場人物のほとんどが失敗する。それが落語だが『いだてん』の構造は落語に酷似している。金栗四三田畑政治もそして志ん生も、 肝心なところで戦争や権謀術策や病に躓き、そして立ち上がる。宮藤官九郎は落語を熟知している。いや、人の挫折に興味があるのだ。素晴らしいドラマだった。 》  立川談四楼
  https://twitter.com/Dgoutokuji/status/1208595485981728771

《 無名・未知の「書」を、一躍「古典」にする快感! 》 青土社
  http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3368

《 高校生の時に始めた「社会風刺」を7年間 封印した訳。 》 たかまつなな(お笑いジャーナリスト)
  https://note.com/takamatsunana/n/nbcc279717c54

《 日本会議など、安倍政権の支持勢力には「男女同権・男女等価値を認めれば、女系天皇容認の考えが広がる」と危惧する、男系天皇至上主義者が多い。 安倍晋三首相は、彼らの意向を無視できない。つまり安倍政権が続く限り、日本で本質的な男女平等や男女同権は成立しそうにない。 》 山崎 雅弘
  https://twitter.com/mas__yamazaki/status/1209023314947035137

《 取り巻き連中の顔ぶれが、これほどまでにあからさまな人間のクズ揃いだった内閣総理大臣は、いまだかつて歴史の中に登場していなかったと思うのだが、 やはりご本人もそれなりに人間のクズだと考えるのが、この際、合理的な推測なのであろうか。 》 小田嶋隆
  https://twitter.com/tako_ashi/status/1208584840418738176

《 常磐線の車内で、東電の水処理週報を確認した。
   12月19日時点のフクイチのタンク内貯留水は約119万5000t。
  計画上の貯留容量上限125万tまで、あと5.5万t。 》 春橋哲史(福島第一原発事故は継続中)
  https://twitter.com/haruhasiSF/status/1209026178213793792

《  この前も紹介した猫の最大種メインクーン。原産は名前の通りアメリカのメイン州で州猫にも認定されています。
  体長1mを超すことも珍しくなく最長の個体は123cmのギネス記録を保持しています。
  そんなメインクーンの大きさが実感できる写真4枚。 》 森永タミー
  https://twitter.com/tammy_morinaga/status/1208499926872674304

再読『「敗者」の精神史』四(閑人亭日録)

 山口昌男『「敗者」の精神史』岩波書店1995年初版の再読を進める。「5 敗者たちの生き方」を読んだ。

《 戊辰戦争で敗れた諸藩出身の人物が、藩閥軍閥の階層秩序から排除されたことは良く知られている。例えば東条英機の父英教も岩手藩の出身であったため、主流から 排除され、せいぜい陸大教官どまりの中将、理論家としての枠に閉じ込められる生涯を送った。このような場合、子弟の反応は一般的に、やや反体制の側に赴くか、逆に、 さらに体制に忠誠を尽くすことによって父祖の汚名をそそごうとする方向に赴く。東条英機の場合は後者の途を執った。そして、それは、昭和日本に破壊的な結末を与える こととなった。 》 173頁上段

《 新政府が成立すると京都府知事に長谷信篤という雲上人が任命されたが、府政の実権は木戸孝允の幕下植村正直の手中にあった。府政は長州閥の手中にあったのである。 京都府に人材を得なかったのと、薩長の尊皇の実体が覇権への執着にあったことを雄弁に語るものと言える。 》 186頁上段

《 府庁は、維新後、旧習の廃絶という方針から、正月の門松にも根付きの若松の使用を禁じ、年中行事の雛祭と五月の端午の節句(大将祭)も廃止を命じた。 》  191頁上段

《 さて、これまで負け派、東北同盟の諸藩の中からのさまざまに屈折した反応が、日本近代に独得の陰影を添えて来たことをたしかめてきた。 》 193頁下段

 「6 敗者たちへの想像力」を読んだ。

《 すでに見て来たように、戊辰戦争は、ある意味では、西日本と東日本との間の内戦であった。従って薩長閥による新政府には、徹底した東日本諸藩の痛めつけ、周縁化が 政策の基礎に据えられていた。 》 211頁上段

《 従って我々のたどってきた線は会津山本覚馬、八重子にはじまり(前章参照)、新島襄と土倉庄三郎を経て、川田順の交友圏を通して小倉正恒の線をたどり、さらに 巖谷小波─大橋新太郎を介して、長岡藩にルーツたどることができる博文館にたどりついた。(中略)これらはいずれも、薩長藩閥政府の秩序感覚に馴れ親しんだ感性 からは出て来ない近代日本へのかかわり合い方であり、それ故に「敗者」の精神史を貫く糸となるような関係または系譜であると言えるであろう。 》 217頁下段

 「7 明治出版界の光と闇──博文館の興亡」を読んだ。

《  何ごとにも例外はあるものだが、近代日本の支配的な出版という形式も、戊辰戦争における「負け派」の諸藩から出現していることは決して偶然とは言えないであろう。
  明治時代の出版界の雄といえば、人は誰しも博文館を思い浮かべる。 》 221頁

 段ボール箱から雑誌『文藝倶楽部』博文館、明治末の号を数冊取り出す。現在の週刊誌とほぼ同様の構成。巻頭には多色摺り木版画
  http://web.thn.jp/kbi/kutiee.htm
 つづいて日本各地の美人芸者の写真や名所写真。広告ページ。そして読み物。

《 たしかに、薩長が官界の枢要なポストを独占したのと対比するとき、博文館が藩閥と関係なく人材を登用して、結果においては、有用な人物を数多く社会に提供した ことは、今日の視点で言えばほとんど「文化産業」そのものの働きを、博文館が行っていたと言える。 》 233頁上段

 「8 青い目をした人形と赤い靴はいてた女の子の行方」を読んだ。

 午後三時、窓の外がずいぶん暗い。冬至か。雨。

 ネット、うろうろ。

《 三島駅のそば。富士山マークの標識が残るスナックがある。玄関左上に施されたアメーバのような意匠と右上の5本の装飾。意味はさっぱり分からないが 魅力的だ。どんな店内なんだろう。雰囲気からしてもう営業されてないだろうな。 》 ねむらー
  https://twitter.com/nemuraaaa/status/1208134587571785728

《 おれには三島まで電車で行く選択肢、普通はないけれどいいかもしれない。ちょっと歩いてみたらすごく面白い街だったから。楽寿園とか源平氏川沿いの遊歩道とか 三島大社など普通の観光地へは何度か行った事があったのでだいたい分かってるつもりだったがなんにも知らなかったんだな。 》 ねむらー
  https://twitter.com/nemuraaaa/status/1208138859860676608

 ふふふ。下記「カスな大人の微酒乱日記」でも画像が。三島駅南口ロータリーを渡って右手の小路を下ったところ。
  https://ameblo.jp/momojam0107/entry-12050202567.html

《 英エコノミスト誌の書評に突如、横溝正史の最初の長編「本陣殺人事件」が。今頃英訳が出たらしい。「もっとも知的な読者さえも困惑させる謎は最後に驚くべき 結末を迎える」と、絶賛。 》 佐藤景一
  https://twitter.com/satokeiichi/status/1208031014460641280

《  みなさん、おはようございます

  きょう12月22日は「冬至」。
  北半球では昼の時間が1年で最も短い日で、#ゆず湯に入ったり、かぼちゃ(なんきん)等の「ん」のつく物を食べて無病息災を祈る風習があります。

  この冬もぜひ元気に乗り越えたいですね 》 Yahoo! JAPAN(ヤフー)
  https://twitter.com/Yahoo_JAPAN_PR/status/1208507446970290176

《 カピバラ似の夫がニュースを見て「この時期は絵になるからって人間の都合でゆず湯に浸からせられるんだよね」ってカピバラ目線 》 ガパオたまか
  https://twitter.com/ogawatam/status/1208372468739477505

《 菅官房長官は「スポークスマン」ではなく「ウソーツクマン」。 》 m TAKANO
  https://twitter.com/mt3678mt/status/1208394799767838720

《  バブル期
  私をスキーに連れてって
  令和期
  総理を牢獄に連れて行って!! 》 ああ中央の若き日に
  https://twitter.com/jitsute_rayu/status/1208546142897635328

《 「日本が世界の真ん中」とかって古史古伝にようあるやつやな。 》 いかふえ
  https://twitter.com/ikafue/status/1208577048576286720

再読『「敗者」の精神史』三(閑人亭日録)

 山口昌男『「敗者」の精神史』岩波書店1995年初版の再読を進める。昨日の「近代におけるカルチャー・センターの祖型──文化装置としての百貨店の発生(二)」の 補遺。

《 ただし、これまで読んですごいことが起こったと思ったまま、今日、パリに行ってデパートを訪れると、そのさびれ方の激しさにびっくりする人もきっと多いだろう。  》 95頁上段

 「3 軽く、そして重く生きる術──淡島椿岳・寒月父子の場合(一)」を読んだ。

《 淡島椿岳と淡島寒月、この二人の父子の名前を挙げて、両方に即座に反応を示す人は、もうほとんど現存しないのではなかろうか。 》 101頁上段

《 このライフスタイルに結びついた二つの方向、つまり一つは、自由で、個人的で、アナーキーで、見世物・パフォーマンス性を帯び、制度化を忌避する方向と、 もう一つの形式化・制度化を目ざす方向は、近代日本の芸術文化の基調をなす底流を形成した。従って、よく言われる日本画派と洋画派の抗争は、本質的な対立とは 言えない。それは、むしろ後者の方向性の中における対立と言うべきものである。 》 107頁下段

《  明治の初年、江戸の画壇は崩壊していたから、画家は職業としてほとんど成立せず制度化した美術界は存在しなかった。(中略)書家や画家は、書画会を開く以外に 自らを売り出す方法は無かった、と(内田)魯庵は言う。
  従って、椿岳のようにお大尽として暮らせるのでなければ、(川上)冬崖のように、お上に奉仕する外に方法は見出せなかった。 》 119頁下段

 この章の結びでも紹介されている明治二十二年に亡くなった淡島椿岳の辞世の句。

   今まではさまざまの事をしてみたが
      死んでみるのは之が初めて

 「4 明治大正の知的バサラ──淡島椿岳・寒月父子の場合(二)」を読んだ。

《 充実した古本屋のある都市空間は、このように時間を越えて通じる濃密な知の不思議空間の媒体となる。 》 128頁上段

 三島からは古本屋はとうに消えた。ブックオフじゃあなあ。

《 このように竹馬会は、根岸党と同様、去った習俗に対する郷愁の感傷の如く装いながら、実は藩閥の作った明治という秩序を相対化するような強い毒を含み、 成り上がり的同時代人を否定する気概に満ちた人の集まりであった。 》 144頁下段

《 坪井正五郎についてはいずれ稿を改めて論じようと思うが、ここで確かめられるのは寒月が坪井を通して、日本における人類学の誕生に立ち会っているという事実で ある。それも「趣味」という方法を踏まえてのことである。これはただの物好き、好事家、ディレッタントとは区別しなければならないであろう。或る意味ではベンヤミン の説いた蒐集家の立場にも通じるものがあった立場と言ってよい。もっとはっきり言えば、今日の職業化した人類学者の大半が失ってしまった純粋好奇心というラディカル な立場である。 》 146~147頁

《 このように寒月は融通無碍に一つの宗教から他の宗教へ移っていった。寒月にとって一つの宗教は情報の体系化であり、そのシステムを通して異文化情報を手に入れる ことの方が、信ずること、救済されることより大事であった。宗教は寒月にとってはあくまでも玩具と同列に置かれるべきもの、つまり、記号の束であり、趣味の方法の 中に囲い込まれるべきものであったのである。明治の人間のものとは思われないほど大胆にして、不敵、かつ高度に知的な態度であった。 》 161頁上段~下段

《 この親子は、二十一世紀に予想される地球に負担のかからない低エントロピー文明時代の知・芸術にたずさわる人間に、最も刺戟に富んだモデルを提供しつづけそうで ある。 》 170頁上段

 昨晩、味戸ケイコさんから電話。彼女を永く応援していた女性が亡くなった、と。彼女へは喪中葉書を投函していたが。それから来春、北海道立函館美術館での企画展に 数点出品を依頼された、と。何を出品するか相談を受ける。
  http://web.thn.jp/kbi/ajie.htm
 その後、白砂勝敏さんから電話。来年二月の個展のすり合わせ。それやこれやで調子が乱れ、読書ははかどらず。
  https://shirasuna-k.com/
 朝、昨日見つけてしまった源兵衛川最上流部のヒメツルソバを抜く。やれやれ。帰宅。ゆっくりコーヒーを淹れる。旨い。と言えばいいが、かがんだひょうしに腰を ひねった(?)らしく、痛たっ。重いものを持ったわけでもないのに~(泣)。昼過ぎまでこたつで暖まる。ほぼ回復。昼食~買いもの。無事帰宅。筋を違えただけみたい。 やれやれ。

 ネット、うろうろ。

《  「同意のない性交渉をされた者が、その事実をにわかに受け入れられず、それ以前の日常生活と変わらない振る舞いをすることは十分にあり得る」

  今回の判決で一番感心したのが裁判所が示したこの見識。これは被害者学の反映。つまり科学的見地。否定できるはずもない。 》 T.Katsumi
  https://twitter.com/tkatsumi06j/status/1208179472928624640


 《 クリスマス全然流行ってないな 》 TKO
  https://twitter.com/taitaism/status/1208356117757059072