『記憶と芸術』(閑人亭日録)

 中村高朗・虎岩直子 編著『記憶と芸術 ラビリントスの谺』法政大学出版局2024年3月4日初版第1刷発行を近くの本屋で受けとる。
 https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-41039-0.html
 虎岩直子「まえがき」を読む。

《 「記憶と歴史」が学問領域として注目されるようになってから久しい。リオタールが唱えた「大きな物語」の終焉後、従来の権威的歴史学に代わって「記憶論」が注目されて、メモや日記、手紙、工芸品、建築、芸術作品などが、それらが作りだされた時代の承認として検証されている。「アートは記憶を伝える」というコピーやそれに類似するタイトルのもとに開催される美術展が多々開かれている。 》 4頁

《 読者・鑑賞者は、織られた美しい絨毯のような作品を読み解いていくとき、作品が生成された時代の記憶を織り目から解(と)きほぐし、読者自身の時代と個人の記憶を読解・鑑賞に織り込んでいく。解(ほど)きそして織り込むときに出現する、作品の「内なる調和」あるいは均衡のスリリングな検証に、『記憶と芸術』の読者は本編を彩るエッセイの中で立ち合うことになる。 》 8頁

 さて、明日からの読書が楽しみ。

越境する上條陽子(閑人亭日録)

 1989年の初夏だろうか、東京・六本木のギャラリーで画家の木葉井悦子さんから上條陽子さんを紹介された。「種村季弘さんの友だち」という木葉井さんの紹介に上條さんは反応し、『上條陽子画集』PARCO出版局1989年5月26日 第1刷を私に恵まれた。未知の画家の3500円の画集のお礼をしなくては、と三日間じっくりと画集を見つめていた。詩人の天沢退二郎が文を寄せている。彼の著書『紙の鏡』の「つげ義春論」に感心した記憶があった。が、この「この人間たち──上條陽子の絵に」の詩的文章には感心しなかった。違うな、という印象。私ならこう書く、と三日三晩うんうん唸りながら手紙を綴った。九月だったか、上野のギャラリー・ニキの上條陽子個展へ行った。再会してビックリ。私の拙い字のお礼の手紙をコピーして配っている・・・。以来、ずっとお付き合いしている。K美術館では『上條陽子画集』から選んだ絵で1998年に企画展を催した。新作の企画展を2002年に催した。
 http://web.thn.jp/kbi/kamijo.htm
 http://web.thn.jp/kbi/kamijo3.htm
 http://web.thn.jp/kbi/zakki3.htm
 先だって上條陽子さんから届いた展覧会の案内チラシに同封された手紙文(コピー)から。

《 その後、2001年から、 私は、レバノンパレスチナ難民キャンプで、子供たちに絵画指導を行ってきましたが、2011年、シリアの内戦により、中断してしまいました。
  ガザへ再訪したのは、2013年で、15年ぶりにソヘイルと再会し、画廊を案内してくれました。 》

 上條陽子さんは、展覧会「パレスチナ明日はあるのか GAZA 七人の画家展」を新宿のギャラリー絵夢で3月28日(木)~4月3日(水)に開催する。
 東京都新宿区新宿3-33-10 新宿モリエールビル3F 電話 03-3352-0413
 案内チラシから。

《 ガザは8mの壁に囲まれ、前は海に面している。包囲されたガザの日人々は逃げ場もない。ガザは瓦礫の山となった。七人の画家が経営する画廊「エルチカ」も破壊された。ハワジリの親族十人が殺され、そしてイサの母と姪も殺された。(引用者・略)
  この状況の中、かれらはどう生き抜くのか。飢えと寒さをどう耐えるのだろうか。私たちは助けに行くこともできない。
  残酷すぎる。むごすぎる。(引用者。・略) 》

 体調がまだ思わしくない。展覧会へ行くのは断念。

孤高の陶芸術家(閑人亭日録)

 午前、北一明の耀変茶碗を太陽光のもとで鑑賞する。玄妙な濃紺地が突然、光彩陸離たる耀きへ変幻。魅せられる。「曜変」茶碗の再現を試みている陶芸家は何人もいるようだが、北一明の「耀変」茶碗は、唯一無二だろう。最初の「耀変」焼成から半世紀ほどが経った。北に肩を並べる作家を私は知らない。独立独歩、陶芸業界とは無縁の、孤高の陶芸術家。彼の政治思想云々以前にまず陶芸作品をこそ正当に評価すべきだろう。それを前提に、デスマスク等の反戦反核思想を体現した陶芸作品を鑑賞すべきだろう、と思う。北自身、既成の陶芸作品に疑問を持ち、自ら焼成して実証実験をした。その過程で国宝曜変茶碗を実際に見てこんなものかと拍子抜けした、と私に語った。それから彼は「耀変」茶碗の焼成=創造へと向かった。
 二十年ほど北一明自薦の作品を購入した。依頼されて推薦文をいくつか書いた。原稿料などは無し。お礼の言葉だけ。
 http://web.thn.jp/kbi/kitashoron.htm
 2005年だったか、彼が百万円で買ってくれ、と送ってきた茶碗は、その値段では到底買うに値しないものと判断。送り返した。助手の女性が電話で怒鳴り込んできた。途中で電話を切った。縁が切れた

「美」ということ(閑人亭日録)

 昨日、「美=表現形態の極限を拡張する潜勢力に心が震える」と書いたが、具体例を挙げる。白砂勝敏『木彫椅子 ナゴメイテ』2010年作。
  https://shirasuna-k.com/gallery-2/wood-sculptures-chair/
 そこに掲載された拙文「見出された、かたち」の結び。
《 木彫り彫刻のための素材という地位に甘んじでいた樹幹から、白砂勝敏氏は一木一木が固有にもっていた個性を、十全に惹き出している。 》
 管見では、こういう過程を経た木彫作品は知らない。彼は現在ではマルチアーティストとして活躍の場を得ているが、日本の美術ジャーナリズムで話題になったことは寡聞にして知らない。また、北一明の耀変茶碗。北は、日本の陶芸業界からは黙殺されているが、外国では高い評価を得ている。
 http://web.thn.jp/kbi/ksina.htm
 http://web.thn.jp/kbi/kitaron.htm
 これらの作品は、「表現形態の極限を拡張する潜勢力」つまり、新たな表現形態の出現と見なすことができると、私は直観し、確信した。それは表現形態の革新でもある。それは簡単には真似、模倣できない代物だ。だから、印象派といった流派をなすことはないだろう。それゆえに美術史の欄外に孤高の美術家と置かれる。それでいいじゃないか。優れた美術芸術作品は、空前絶後のものだから。そのような極私的見解は、美術界からは相手にされないだろう。私の目的~夢は、これらの作品が後世に伝わること。価値判断は後世の人に委ねる。

「美しい」と「美」の間(閑人亭日録)

 「美しい」と「美」の違いについて私的見解。
 美しい=表現形態の極みに心が痺れる
 美  =表現形態の極限を拡張する潜勢力に心が震える
 昨日挙げた「KAOSU7」の作家たちは皆、「美しい」作品を制作し、さらに「美」へ踏み込んだ作品をも制作するだろうと私は見ている。その作品に深く感応する人だけが予感する。未知の領域を予感させる兆しのような感触を直截的には語れない。凄いと直観、震撼しても、それを言葉でうまく表せないもどかしさがある。そりゃそうだ。容易く言葉で表すと、的外れになるおそれがある。後年、その評価が的外れか正鵠を射ていたかが明らかになる。「美しい」の評価、「美」の評価は、時代の変遷とともに変化する。美術芸術作品とはそういうものだろう。
 「美」へ踏み込んだと思える同時代の作品に出合うとワクワクするが、作家の没後、時代に埋もれた優れた作品を発見することもワクワクする。その実例が木版画絵師・小原古邨。そして一昨年の秋に出合った久田誠道の創作木版画
 生前から応援していたつりたくにこさんのマンガについて日本の評論家は殆ど話題にしないが、この五年、各国で出版された厚い作品集では熱く語られているようだ。解説文が長い!
 味戸ケイコさんの絵については椹木野衣(さわらぎ・のい)が絵の解説を書いている。

《 しかし、一九八〇年代も半ばとなり、バブル前夜の楽天的な気運がそんな陰りを一掃してしまうと、気づかぬうちに、いつのまにか見なくなっていた。けれども味戸の絵は深く人々の心に沁み、決して消えることはなかった。それどころか、こうしてあらためて見たとき、味戸の絵は、いまもう一度その役割を取り戻しつつあるように思われる。(引用者・略)もとが版下として描かれたゆえ、用を終えると所在が不明になりがちなこのころの味戸の原画は、幸い静岡県在住の所蔵家の目に留まり、その多くが大切に保存され、未来に発見されるまでの、決して短くはない時の眠りについている。 》 『日本美術全集 第19巻 戦後~一九九五』小学館 二〇一五年八月三十日年初版第一刷発行、「150 雑誌『終末から』表紙絵  味戸ケイコ」273頁

 味戸さんは今年も企画展が控えている現役作家。それにしてもなあ、「未来に発見されるまでの、決して短くはない時の眠りについている」とは。あと何年生きればいいんだ。

「KAOSU7」(閑人亭日録)

 しばらく前「KAOSU(カオス)」なる私的造語を披露した。
 K 上條陽子 北一明
 A 味戸ケイコ
 O 奥野淑子(きよこ)
 S 佐竹邦子 白砂勝敏
 U 内野まゆみ
 ここに挙げた作家は、私の推す美術家たち。半世紀余りの美術遍歴、美術探求で出合い、その作品を評価している人たち。今、この人たちを「KAOSU7」(カオス・セブン)と呼ぶ。美術家七人衆の展覧会を開きたくなるなあ。それが最後の展覧会になるかな。作品は揃っている。早くても来年後半か

現役作家(閑人亭日録)

 現在、多摩美術大学の教授でリトグラフ作家の佐竹邦子さん。1997年春、多摩美術大学院生卒業制作展に遭遇。さほど広くないギャラリーで注目したリトグラフ作品に「これ、いいな!」と感想を発したら、そばにいた女性が「私です」と声を上げた。それが佐竹さんとの出会いだった。翌年だったか初個展で小品を購入。
 http://web.thn.jp/kbi/satake.htm
 それからK美術館で企画展(2006年)を催して彼女を応援。
 http://web.thn.jp/kbi/satake3.htm
 木口木版画の奥野淑子(きよこ)さん。
 http://web.thn.jp/kbi/okuno.htm
 銀座の貸画廊からの案内葉書を見て、これは行かねば、と初日に行った。正午の開館時間から三十分ほどして奥野さん到着。寝坊した、と。まあまあ。若いねえ。一点を購入。後から来訪した年配の紳士は「美術雑誌の広告で見た」「いちばん高いものを買う」と仰る。凄いね。これからどうなるかわからないが、と話す。コレクターの鑑と、感服。
 それから奥野さんの木版画を三島の知人たちに宣伝して何点かを買ってもらい、代金をそっくり彼女に贈った。K美術館へ来館されたこともあった。
 某版画雑誌の編集長が、小原古邨作品集に載せるために写真撮影に自宅へ来た。撮影を終え一息ついて、奥野淑子さんのA4版ほどの大きさの木口木版画をお見せした。彼は仰天。「電話してください」奥野さんへつないだ。まさかご存じないとは。それに驚いた。その作品は、私の勧めに応じて日本版画協会展に応募し、落選したもの。展覧会では彼女の名前が間違って表記されていたので事務局へ申し出た。結局、審査員に作品を見極める眼力がないのだ。が、当時の結論。美術団体、美術ジャーナリズムの世界は・・・いやいや書かないでおく。桑原桑原。ネットの時代、類火がどこに及ぶか知れたもんじゃない。それはさておき。私は、奥野淑子さんの木口木版画は戦後最高だと思う。なぜ話題にならないのかな。

 近所の写真店の人から富士フィルムの「あなたが主役の写真展」へ今年も参加を、と頼まれる。今年は白砂勝敏さんの木彫椅子にする。
 https://shirasuna-k.com/gallery-2/wood-sculptures-chair/