最近飛ぶ夢を見ない。すっ飛んでいる男と世間からは見られているようだけど。福永武彦「飛ぶ男」を再読。永く入院している男の夢は鳥のように飛ぶこと。福永の闘病生活から生まれた、一九五九年四十一歳の短篇。「ちくま日本文学全集 福永武彦」筑摩書房1991年の年譜には病気の羅列。心臓神経症、盲腸炎、肺炎、急性肋膜炎、肺結核、腸結核、咽喉結核、胃潰瘍などを繰り返し、一九七九年脳内出血のため死去。享年六十一歳。年譜を見るとき、自分と同い年に何をしていたかに興味が向く。彼は長編「独身者」を刊行している。再婚しているのに独身者かあ。まあ、それは措いて。仏文学者菅野昭正の解説から。
「そのみごとな成果として、短篇小説ならば『飛ぶ男』、長編小説ならば『死の島』をあげておきたい。」
二編ともこの全集からは漏れている。文庫版全集の限界だ。いずれ「死の島」も再読したい。本ならある。この全集にはミステリの「完全犯罪」や美術エッセイ「岡鹿之助の詩的世界」「ゴッホとゴーギャン、内面への道」が収録されていて、それぞれ興味深く読んだ。「完全犯罪」は以前よりも心に沁みた。
「ゴッホとゴーギャン、内面への道」から。
「絵画は本質的に、現実をそのまま写す傾向と、現実を作者の主観によって変貌させる傾向とに分れている。ラスコーの壁画以来、前者は絵画の本道をなしているが、新しい実験は、レアリスムに対する反動として、常に後者の側にあって試みられた。」
企画展示している木版画は、その多くが「現実をそのまま写す傾向」であるが、日本画と称される絵画の伝統を踏襲し、そのうえで西洋モダニズムをさり気なく吸収している。日本の創作版画運動は1904年、伝統的木版画を古臭い時代遅れの技法と切り捨てて出発したが、それから百年が過ぎて振り返ると、若者に特有の大言壮語の青臭さを感じてしまう。小原古邨や川瀬巴水、高橋松亭らの優れた木版画には、大人の静かなる品格が感じられる。まあ、どちらの陣営にも、死屍累々のなかから、ほんの僅かな作品だけが飛び立ったのだけれど。そんな木版画遺産を展示している。