ELMO HOPE

 テケテケママが金曜日のブログに「天国への階段?!」の写真を載せていたので、昨夜久しぶりにレッド・ツェッペリンの「天国への階段」を聴いた。ついでに東欧のジプシーバンドの、「天国への階段」を下敷きにした歌「お母さんが死んだ」も聴く。これぞ換骨奪胎。ジプシー音楽は街外れの音楽、ロックは街中の音楽、ジャズは都市のコンクリート壁の地下の音楽だ。と、昔から思っている。なお、彼女の土曜のブログで触れられている本は大沢在昌「狼花」。

 秋の夜長にはJAZZがいい。ジャズピアニスト、エルモ・ホープのLPレコード「Elmo Hope Trio」1959 年録音を一昨日昨夜と何度も聴いた。レナード・フェザー Leonard Feather の1970年の解説から。

「エルモ・ホープは1923年ニューヨークに生まれ、1967年5月19日に同地で死んだ。彼の44年の生涯は暗く、渾沌としたものだったが、今振り返ってみると、チャーリー・パーカーの時代に生きたミュージシャンの大多数は、そのような人生を宿命づけられていたように思われる。(引用者:略)この時代を生き抜いた者もいる。生き抜けなかった者は、エルモ・ホープのように、時代に滅茶苦茶にされてしまった。」

「彼は静かで瞑想的な人物であり、同時に深い悩みを抱えていた。」

 二曲目を聴いているとき、友だちから電話。「いい曲ね」。そう、私も大好き。同時代にはビル・エヴァンスを始めとしてオスカー・ピーターソンセロニアス・モンク、フィニアス・ニューボーンjr.、ドン・フリードマン綺羅星のごときピアニストが群生しているけれど、そのなかでキラキラの一等星ではなく二等星の光芒を放っているのが、エルモ・ホープだと思う。派手ではないし、聴衆をグイグイと引っ張ってゆく演奏でもない。けれども、街の喧騒を離れ、ふっと息を抜くと、そこに何気なく聞こえてくるピアノの響き。凍てついた夜の雫がひそやかに次々と零れ落ちてゆくような玲瓏たる響きの連鎖は,意外にも内面の屈折を反映している。そこに気づくとつい耳をそばだててしまう。友だちの耳にとまった曲「バーフライBARFLY」についてレナード・フェザーは書いている。

「バーフライのメロディは心の琴線をかき鳴らすような叙情性を持っている。三人の心の結び付きがこの曲によく現れている。」

 ブックオフ長泉店で二冊。白川静「漢字百話」中公新書2003年26刷、いしいしんじ・文/ほしよりこ・絵「赤ずきんフェリシモ2008年初版、計210円。白川静「新装版 字統」平凡社が1300円で棚にあって、興味あるけど、すでに新訂版も出ているし、と見送ったら、この手軽な新書版に出合った。後者は、今朝の静岡新聞・読書欄で 金原端人が大推薦、金原賞なので。文庫サイズ三十頁そこそこの絵本「赤ずきん」を読んでみた。寺山修司の衣鉢を継ぐ、と感じた。寺山修司は文学遺産のパッチワークで素晴らしい読みものを創った。いしいしんじ寺山修司のセンスを受けて、二十一世紀の無手勝流で創ってみましたという印象。最初の一頁。

「あたい赤ずきん。スカ生まれのスカ育ち。犬は飼ってるケードー、透明な犬であたいにも見えないんだ。ずっとこの店に出てるケードー、お酒とか飲めないカーラー、リンゴジュースちびちびやりながら、マグロ船ドンデコスタ丸で出ていったジローに手紙を書く。」

 スカを当初、ジャマイカの1960年代の音楽、スカと勘違いして、ヘンだなあ、と思った。横須賀のスカだった。昔、横須賀線スカ線と呼んでいた。