知のダンディズム

 山口昌男「『挫折』の昭和史(下)」岩波現代文庫2005年初版、「補遺1 知のダンディズム再考 『エロ事師』たちの精神史」をワクワクして読んだ。

梅原北明は、出版の表世界ではほとんど忘れられた存在であるが、出版の裏世界では相当の知名士である。≫277頁

≪北明のスタイルは、大学という枠と無関係に、何らの正統性も見返りの地位も要求せず、膨大なエネルギーを投入した蒐集作業の結果を、軽いノリで、ほとんどスラップスティック喜劇調で放出することによって、支配のための学問をコケにするというところにその特徴があった。こうしたスタイルを、私は今、敢えて知的ダンディズムと呼びたいと思うのである。 ≫328頁

≪さて、普通こういうことはしないものだが、 林達夫のような岩波書店第一書房の間を往還していたハイ・ブラウな存在と、梅原北明のごとき秘密出版に明け暮れた人物を同じ地平で眺めるとき、日本近代の知が何であったかということが、よりいっそう明確に像を結んで来るのではいかと私には思われる。≫331頁

≪このようにして、私が半ば無意識に買い漁っており、その間の脈絡がつけられないままに放置してあった書物が、大正から昭和に至る、知的に最も魅力ある人物たちの構成する文脈の中で位置づけられて来たというのは、今回の小旅行の何よりの収穫であった。≫327頁

 なんか面白そうな気配の本は、迷わず買っておく。どこでどうつながるかわからない。いい理由だ。

 最終章「補遺2 モダニズムと地方都市─北海道と金沢」から。( )内は私の補筆。

≪さて、関場(不二彦)邸工事の完成が目前に迫ったころ、田上(義也)は瀟洒な洋服の「胸ポケットに色つきのハンカチをのぞかせ、ステッキを」突く痩身の一紳士の来訪を受けた。「フランス留学から帰って間もない北大理学部助教授の小熊捍(おぐま まもる)であった。後に初代の北大理学部の学部長になり、退官後は三島遺伝学研究所長をつとめた人である」。当時の札幌の医師または、北大教授はエリート中のエリートで、こうした知識人層が札幌モダニズムの一方の担い手であったことは、藤森(照信)も指摘している。≫ 347頁

 三島が出てくるとは。山口昌男は1994年の「あとがき」に書いている。

≪秩序に対しても、人に対しても、自然及び環境に対して開かれた状態に置いて置く精神の技術こそ、薩長中心の藩閥体制に飼いならされてきた近代の日本の人々の最も不得意な、あるいは全く欠如していたものと言える。今日、日本出身の人間たちはこうした欠陥の故に、国内においても国外においても、その柔軟性の欠如の故に、至るところで行きづまりの状態に達している。≫

 書評家岡崎武志が18日のブログに書いている。

≪残りの人生、これまでに出た紙の本だけでじゅうぶんだ。

 新刊書店へは足を運ばなくなり、 古本屋だけで読書生活を続けていく。≫

 同感。すでにそうしてる。

 ネットの拾いもの。

≪今見てた教育テレビ。子供らが自己紹介。

 「僕は○○××、8歳独身です」≫