九月も暑ッ

 昨日三島は35度ちょうど。猛暑日で終えた八月。きょうは何度になるんだろう。暑っ(言葉も出ない)。

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で夕涼みがてら二冊。河井寛次郎『陶技始末』文化出版局1981年初版、『新潮日本古典集成 芭蕉文集』新潮社1978年初版、計210円。どちらも美本で清々しい。前者をぱらぱらと読む。柳宗悦が熱のこもった「解説」を書いている。河井寛次郎の転進については無知といっていい私だけど、この柳の文章には違和感を覚えた。民芸というものに惹かれないせいかもしれない。

 月刊『現代』1991年1月号、特集「近代日本の100冊を選ぶ」は、選者が伊東光晴大岡信丸谷才一森毅山崎正和という錚々たる人たち。そこで27番に選出された柳宗悦『朝鮮とその芸術』1922年(大正11年)について、山崎正和の発言。

≪朝鮮芸術への評価はいいんです。柳さんの民芸という言葉ね。ちょうど柳田(国男)さんの常民というのが存在しいのと同じように、民芸というものもやっぱり架空のものなんですよ。だって、そんなことを言えば室町時代の茶道は全部民芸ではないかということになって、概念として非常に曖昧でしょう。≫

 昨日話題の遠山啓という数学者はそれまでは未知の人だった。『文化としての数学』は、吉本隆明の「解説」を立ち読みして、買う気になった。その「解説」(遠山啓──西日のあたる教場の記憶)もまた平明にして深い。再読しても……理解が難しい。上記「100冊」には、74番遠山啓『無限と連続』1952年(昭和27年)岩波新書が選出されている。これは読んでみたい。

 ネットの拾いもの。

≪おれ、合コン行ったら毎回お持ち帰りしてる

そのためにわざわざ100均でタッパー買ってきたもん≫