暁の死線

 臨時休館の予定だったけれど、予定がなくなり開館。曇天〜雨。暑さが和らぐ。

 ウィリアム・アイリッシュ『暁の死線』創元推理文庫1997年27版を再読。この前読んだのは昭和の時代。読後感もよく、面白かったという記憶は間違っていなかった。午前零時五十分から午前六時十五分までの五時間あまりの出来事、ニューヨークでの夢破れた若い男女が、殺人事件に遭遇し、故郷の田舎へ向かう午前六時発の長距離バスに間に合うよう、必死で犯人を探す。スリルとサスペンスに満ちたスピーディな文章で、最初からグイグイと引き込まれ、最後まで目が離せない。1944年の作。昨日の『陸橋殺人事件』は1925年。ミステリは20年の間にここまで進化した。傑作だ。

《 しかし、なによりもまず、今でもあたしの部屋のベッドの下に押しこんである、へしゃげて、ささくれたトランクの中をのぞいて見たらどうだろう。たいして重くはないが、中身はぎっしり詰まっている。いまは役立たずになってまった古い黴のはえた夢がいっぱい詰まっているはずだ。》11-12頁

《「相手の表情を見れば、どんな気分でいるかぐらいはわかるさ」

 「ところが、目の悪いひとが、びっくりするくらい大勢いるのよ」》47頁

《 彼は風雨にさらされたスーツケースを提げていた。たいして重くはなかった。ほとんどなにもはいっていなかった ──砕けた希望ぐらいのものだった。》89頁

《 「『北から東洋へ』『Yの悲劇』──たいした読書家じゃないわね」》129頁

 ウェブサイト東京藝術史の「スーパーサーキュレーション宣言」の一文にひどくうなずく。

《 また、他人の創作物を優れて「翻案」する能力を持った人も見出される。》