9月26日(月) 休館日

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。吾妻ひでお『うつうつ日記 その後』角川書店2008年初版帯付、アイザック・アシモフほか編『ビッグ・アップル・ミステリー』新潮文庫1985年初版、計210円。

 秋霖の趣。長袖のシャツに替える。巣ごもり状態。新聞をじっくり読む。毎日新聞、昨日の読書欄、川村湊原発と原爆』河出ブックスへの田中優子の評から。

《 「原発文学史」の筆致に一貫しているのは、「誰かが犠牲とならなければならないという、エネルギー政策は根本的に間違っている」という考えだ。》

  一昨日のインターンンシップ研修生の名簿の備考欄に「メンター」という記述が目についた。なんのことか数人に聞いたけれど、誰も知らなかった。朝刊に《大学、企業「メンター」に注目》木村葉子という記事。

《 「メンター制度」が企業や大学で広がっている。先輩社員や上級生が、若い社員や下級生を個別にサポートする制度で、経験談を交えて相談に応じる。》

《 メンターは「助言者」「指導者」の意味 》

 へえ〜。夕刊には梅津時比古のクラシック音楽のコラム。

《 現代音楽という言葉はいま微妙な立場に置かれている。かつて現代音楽の可能性を信じたあの真摯さとは何だったのか、とちょっと困惑するような、あるいは青春に懐かしさを憶えるような……。》

 昭和の時代、現代音楽とは何なのか、武満徹らのLPレコードを聴いては、肩透かしを喰わされたような、もどかしい思いをした。結局、自分にはワカラナイ、縁のない音楽だ、というところに落ち着かざるをえなかった。理智が勝ちすぎていて、身体性に基づいていない、そう感じてしまう。ジャズやキューバの音楽(ソンなど)とはまるで異質な西洋音楽。私はジャズやキューバの、いわゆるポピュラー音楽を選んだ。時代は移り、日本のポピュラー音楽界を観ると、これまた情けない。音楽CDの売り上げが右肩下がりの原因は右肩上がりのネット配信に喰われたせい、と分析されていたけど、今年になってネット配信も右肩下がりに。それは当然の現象と思える日本音楽界だ。