《 読書するるとは、偉そうな物言いを求めることでも、大それた定理をさがすことでもなく、わたしをして一人の「私」たらしめるものを再認識して、小さい理想をじぶんで更新するということです。 》 「手紙 7」
《 わたしたちの自分というのは、むしろ自分でないものによってしか語ることができないものです。わたしたちの中にいる自分は、言葉をもたない自分です。あるいは、言葉に表すことのできない自分です。 》 「手紙 10」
《 記憶は、心に結ばれる像、イメージです。言い換えれば、記憶が果たすということというは、「覚えている」ということではなく、みずから「見つけだす」ということです。 》 「手紙 15 ──「記憶のつくり方」」
《 言葉を忘却からすくいだすのは、言葉のちからをきざむユーモアです。 》 「手紙 16 ──別れの言葉」
《 何が書かれているか、何が語られているかでなく、一冊の本にとってむしろずっと決定的なのは、どのような読み方が求められているか、です。 》 「手紙 19 ──ゆっくりと、静かな時間」
「ゆっくりと、静かな時間」、この言葉に共感。
《 読めばいつでも中断に誘われたプルーストの『失われた時を求めて』が、突如としてスリリングな書物に変貌したのは、ある日、鈴木道彦訳の「スワンの家の方へ」(『失われた時を求めて』I )を手にしたとき。 》 同
鈴木道彦抄訳版の文庫三冊本を持っている。まずはここから。
《 鈴木道彦個人全訳の『失われた時を求めて』を選んだ。理由はいくつかあるが、鈴木道彦による編訳2巻本『失われた時を求めて』(集英社)に感嘆したからである。 》 松岡正剛
長田弘に親近感を抱いたのは、こんな一節。
《 遠い日の友人の記憶は、わたしのなかで、『わが青春のマリアンヌ』という古い映画の記憶に重なっています。 》 「手紙 16 ──別れの言葉」
中学生の時テレビで観た。心に深く刻まれた。後年、アルフィーの歌う『メリーアン』では、映画の一場面が、そのシングルレコード盤に使われていた。……失われた時を求めて、そこに三冊あるが。いつ読むんだろう。
一昨日ブックオフ三島徳倉店へ今年初めて行った。工藤直子『新編 あいたくて』新潮文庫2011年初版、橋本治『リア家の人々』新潮文庫2013年初版、大岡信・編『古美術読本 六 仏像』知恵の森文庫2007年初版、マンシェット『愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える』光文社新訳文庫2009年初版、計420円。
ネットの見聞。
《 ほんと、残りの人生、昔の話だけして、もういいんじゃないか。 》