時代を突き抜ける

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で一冊。鈴木和成『ヴェネツィアプルーストを読む』集英社2004年初版、105円。 最近は夕涼みに寄るみたいだったので、ホッ。元気なので夕食後、久しぶりにブックオフ函南店へ自転車を走らせる。霞流一『死写室』新潮社2008年初版帯付、これでもう満足。他に米澤穂信『犬はどこだ』東京創元社2005年初版帯付、橋本治花物語』ポプラ文庫2009年初版、コーリイ・フォード『わたしを見かけませんでしたか?』ハヤカワepi文庫2004年初版、P・D・ジェイムズ『黒い塔』ハヤカワ文庫1994年初版、計525円。汗びっしょりでも足取り軽く帰宅。疲れたのでサッカーを観ずに就寝。今朝結果を知る。見事な結果だ。

 某ウェブサイトに紹介されていた山本周五郎賞篠田節子の選評から。

≪一斉に書評が載って祭り上げられ、右ならへとばかりにネットではやされ、次々に賞の候補となる作家がいる一方で、質の高い作品を送り出しているにもかかわらず、なぜか注目されず、書評に取り上げられることがなく、新刊がでたことにさえ気づかれないという、不運な書き手もいる。≫

 これって、美術でも同じことだと思う。ビエンナーレトリエンナーレなど、話題になる美術イヴェントの出品作家はどこも同じような顔ぶれ。他にいないのか、それしか選べないのか、とコミッショナーを責めたくなる。鵜の目鷹の目で優れた作品を発見発掘しようという意欲が、美術イヴェントに感じられない。まあ、『ゲゲゲの女房』でもあったけど、水木しげるの貸本漫画が、その当時には一般からは下卑た低俗漫画と見られてたことからも、時代を突き抜けた優れた作品は、同時代の大多数からは支持されず無視黙殺される宿命なのだろう。

 ネットの拾いもの。

アメリカンの友人が日本語覚える前は

 語尾にDEATHがついてて怖い印象だったと言っていた。≫