本という不思議・つづき

 長田弘『本という不思議』みすず書房1999年初版、続き。

《 物語がくれるのは、どんな結末でもなくて、はじまりです。出口が入口であるような世界が、子どもの本の世界です。 》 137頁

 優れた美術作品もそうだと思う。つまり以下の感じ。

《 優れた美術作品がくれるのは、どんな結末でもなくて、はじまりです。出口が入口であるような世界が、芸術の世界です。 》

《 読まなかったために、かえって忘れられない本だってある。「読んでしまった」というのも読書ならば、「読まない」「読まなかった」というのもまた、一つの読書といっていい。そう思うのです。 》 141頁

 うんうん、同感同感。

《 本というのはおもしろいもので、どんな本も読み手とおなじ背丈しかもたない。読み手がこれだけであれば、本もまたこれだけなのです。ひとが本に読みうるのはつまるところ、その本を通して読みうるかぎりのじぶんの経験だからです。 》 149頁

 美術鑑賞もそうだなあ。

《 オーウェルが「いい社会」として胸においていたのは、きれいな川のある社会でした。 》 228頁

 源兵衛川〜。

《 芸術について、オーウェルはおもしろい定義を下しています。すなわち芸術とは「必要な余計なもの」だというのです。 》 230頁

 ネットの見聞。

《 グローバルスタンダードという名の下に徳よりも得を優先する企業経営者 》

《 モノだけをデザインする時代は終わった。 》