本よみの虫干し

 昨日の午後は知人の誘いに乗って、彼の車で熱海のMOA美術館「広重 東海道五十三次展」へ行く。保永堂版の摺、保存の良いものが並んでいる。「三島」の駕篭かきの足の六本指は、目視では確認できなかった。

《 構図に北斎ほどのうまさもなく、歌麿のような描写の迫力にも欠けるが、広重の作品には心がある。我々が失ってしまった「日本人の心」が封じこめられているのだ。広重の絵を見て誰も「うまいな」とはいわない。「いいな」というだけだ。技術を越えた部分に広重の魅力は存在している。 》 高橋克彦『浮世絵ミステリー』講談社文庫より。

 常設展、佐藤玄々の置物木彫が拾い物。帰路、ブックオフ函南店へ寄る。何もなし。

 関川夏央『本よみの虫干し──日本の近代文学再読』岩波新書2001年初版を読んだ。飛ばし読みをしていたけれど、腰を据えて通読。ジャケット裏の紹介文から。

《 日本近代文学の名作、話題作を、できるだけ現代人の視線から離れ、時代に即して読み直した日本近代文芸思想入門。 》

 樋口一葉から松本清張『点と線』などの大衆文学、カミュ『異邦人』などの翻訳文学、そして岡崎京子のマンガ『リバーズ・エッジ』まで。これは凄い。目から鱗が落ちて、近代文学の見通しがくっきりとした。250頁ほどの本に付箋の林。「あとがきにかえて」から。

《 近代文学のテキスト再読の感想は、第一に、どれもみなその時代の思潮と経済のただ中に生きた悩みと喜びの文芸であり、また試みの記録であるということだ。 》

《 第二に、日本人はこの百年、おおまかにいって、自意識と結核と金銭と戦争と異文化接触を、いわばらせん状にえがきつづけてきたということだ。そしてそれら日本近代の主題は、かたちをかえていまも有効である。 》

 本棚から関川夏央谷口ジロー『「坊ちゃん」の時代』双葉文庫2002年初版を取り出す。高橋源一郎は解説で書いている。

《 なぜわたしは衝撃を受けたのか。/それはなにより『「坊ちゃん」の時代』には「文学」のことが書かれているからであった── 》

 私は『本よみの虫干し』から同様の衝撃を受けた。文学作品などを通してその時代の深層を掘り起こす視線。いわゆる文芸評論の類が視界から消えた。高橋源一郎の解説で知り、『座談会 明治・大正文学史(6)』岩波現代文庫2000年初版を取り出す。関川夏央の解説を読む。

《 この本の書評はほとんど出ず、この本自体が近代文学研究の際直接に言及されることはまれだったが、実は志ある人を刺激してひそかに参考にされつづけたという点では、徳富蘇峰の『近世日本国民史』と歴史家の関係によく似ていた。 》

 この文章は、そのまま『本よみの虫干し』に当てはまるのでは。

 三浦雅士『青春の終焉』講談社2001年9月27日刊、484頁の大著は世間の話題を呼び、私も当時読んで深い感銘を覚えた。関川夏央『本よみの虫干し』は2001年10月19日に刊行された。私はまったく気づかなかった。今読んで驚愕している。

 ネットの見聞。

《 隙がなく強固に組み立てられていてで他をどこまでも論破し続けていく哲学思想よりも、ツッコミどころだらけでボロクソに批判されるがそれらの批判によって提唱者も気づかなかった思想の潜在的な可能性が徐々に開花していく哲学思想のほうが、大化けするということを、歴史は教えてくれる。 》 森岡正博