『私とはなにか』つづき

 上田閑照(しずてる)『私とはなにか』岩波新書2000年初版で、その視線の深さに導かれ、蒙を啓いた「私と汝」の章から。

《 出会って、握手の場合のようにすぐに向かい合って「汝と我」になるのではなく、まずお互いに頭を下げておじぎする。 》 116頁

《 おじぎをする挨拶の仕方を手がかりにして見てきたが、要は「我と汝」が成り立つ究極の根底を「間」そのものの無底性に見るところにある。 》 121頁

《 ブーバーの場合は、人格と人格とが向かい合って直接全存在的に触れ合うところに核心があるのに対して、後者の場合には、「個と個」におけるそれぞれの絶対の独立性と相互の徹底的な相対依属(いぞく)との相即という運動の共働共演となる。ブーバーにおいては直接の触れ合いにおける存在の相互充実が強調されるのに対して、後者の場合には、個と個の間の否定性、非連続ををつきつめつつ、非連続の連続をなす運動が強調される。 》 123頁

 後者とは日本の「おじぎモデル」のこと。ブーバーのモデルは握手。この違いを美術に援用したくなる。「握手モデル」はファン・ゴッホの絵か。昨日の白砂勝敏氏の木彫作品は「おじぎモデル」と言える。

《 いわゆる現実の自分だけが自分なのではない。現実の自分と、「あるべきである」自分との関わりそのものが自分なのである。 》 125頁

 昨日話題の盛林堂ミステリアス文庫から、『マルセル・シュオブ「吸血鬼 -マルセル・シュオブ作品集-」』発売のお知らせがウェブサイトに載る。明後日から予約受付開始。発行部数:250部。私は『黄金仮面の王』国書刊行会1984年を持っているから見送り。

 ネットでアルフォンス・アレー Alphonse Allais の『悪戯の愉しみ』が面白いとあるので、買おうかなとネット検索。ふと本棚を見やれば、福武文庫が。改訳版がみすず書房から出ているけど、これで間に合う。ネットで見るアレーの絵画に驚く。二十世紀コンテンポラリー絵画の先駆けだ。「トンネル内での黒人の喧嘩」という絵画は、黒一色。それから数十年後、ブラックユーモア漫画に「盲人画家の個展」といった作品があった。盲人の傍らの絵は真っ黒。

《 ブラック・ユーモアよりもさらに過激なその笑いは、ブルトンをして「エスプリのテロリスム」と呼ばしめた。 》

 ブックオフ函南店へ自転車で一っ走り。ひろさちや『やじうま歳時記』文藝春秋1994年初版帯付、ラードナー『ラードナー傑作短篇集』福武文庫1989年初版、計210円。

 ネットの見聞。

《 安倍首相は昨日の衆院予算委で、秘密保護法がどうしても必要と力説したが、「米国の強要で」と正直に付け加えるべきだった。この法律は、国家安全保障会議設置とセットで2006年、安倍政権に“要請”されたもの。英国を含めた“三国同盟”による世界の情報を支配する企み。 》 浅井久仁臣

 毎日新聞夕刊に『原発ホワイトアウト講談社で知られる現役官僚の覆面作家若杉冽がインタビューに答えている。すごい内容だ。

《 「今や世界的に見ても日本の原発の安全性が劣るのは明らかです」 》

《 「まだまだ驚くべき事実はたくさんあるんです。こうした情報が国民に届けば、きっと世論のうねりが起きる。私が役所に残り続け、素性を明かさないのは、情報をとり続けるためです。さらに第二、第三の『若杉冽』を世に送り出すためにもね」 》