原発記事

 体慣らしにブックオフ沼津南店へ自転車で行く。秋山ちえ子『冬の薔薇』三月書房1994年3刷函帯付、ルイス・キャロル鏡の国のアリスちくま文庫1991年4刷、計210円。前者は文庫サイズのハードカバー。このシリーズ、以前から欲しかった。やっと買えた一冊。パラパラと読んでみた。すらすら読める、なかなかいい文章。まだ存命(1917〜)とは。恐れ入りました。この本の帯には「秋山ちえ子、心をこめた77歳の本」。

 1983年から10年ほど新聞記事などをスクラップブックに貼っていた。久しぶりに見たら「原発促進へ労組が結集」という一行記事が目に入った。1984年1月31日、毎日新聞(多分)。
《 原子力問題で労組が大同団結するのは全国でも初めて。 》

 1984年4月14日の記事。
《 核燃料サイクル基地 下北半島に建設 電力業界 20日、知事に要請 》

 1984年7月2日の記事。三年前に原発に関するこんな報告書が出ていたという記事。
《 原子力の将来 原研内にも悲観論  廃棄物処理で制約 》
《 報告書は「前途を楽観視する異見はなかった」とまで述べ、原研自体も危機に直面していることを強調している。 》
《 それでは今後、どんな手を打ったらいいのか。報告書はこの点の具体的提言をとくにしていない。それがそのまま日本の原子力開発が置かれた厳しい状況を反映しているともいえる。 》

 1985年1月17日の記事。
《 核燃料サイクル 六ヶ所村が受諾 》

 1986年10月25日の連載記事「スウェーデン 実験社会のX 5」、題は「原発なき21世紀へ」。
《 カールソン首相はそう指摘しエネルギー評議会に原発政策の再検討を求めた。国民投票と国会の決議で一九九八年から翌年にかけてまず最初の一基を、ついでニ○一○年までに残る十一基をつぶす原子力発電廃止の時期を、もっと早める必要があるか、同評議会は十一月中に結論をだす。 》

 日中戦争第二次世界大戦の戦端を開いたはいいが、さてどこで終結させるか、後始末をどうするか、政治家も軍部も誰も考えていなかったという。原子力発電も同じ構図。目先の利権しか考えられない日本の指導部の悪弊。

 政治の動向、経済の記事など今読むとじつに興味深い。あの人は今?と気になる人はたくさん。

 1984年7月30日の塚本邦雄「けさひらく言葉」はロバート・ヤングたんぽぽ娘』井上一夫訳。

《 「二十三世紀には、気持のいい草原なんてあまり残ってないんです。」 》

 塚本邦雄は書く。

《 一九六一年はすばらしい時代だと、心からほめるのだが。 》

 1985年12月18日の「けさひらく言葉」は矢野目源一「枕詞哀歌」から。

《  千早ぶる紙屑紙幣、みつみつし工面遣繰たらちねの母は飢ゑたり、病葉の妻も子もあり  》

《 敗戦直後の昭和二十一年から始まった「アサヒグラフ」の「玉石集」に、当時の世相を万葉枕詞に託して、苦く辛く酸っぱく歌い連ねた傑作。 》

 ネットの見聞。

《 ドイツにいる読者のかたから特定保護法案が通ってしまう日本の情勢が心配だというメールが届きました。海外からの方が日本のゆくえの危うさについてはよく見えるのかも知れません。 》 内田樹

 年代は違うが、ネットのうなずき。

《 中高生時代の、俺の「三大ピンと来ない」が「広末」「エヴァ」「ダウンタウン」だった(気がする)。 》