「みみづくの夢」

 昨晩のご苦労さん会で、昼間の竹林刈り取り作業をして向こう側が見えて風通しがよくなった、と学生たちがやや興奮気味に発言していた。やはり論より実証、体験だと実感。放置竹林がなくなれば素晴らしい景色が現れる、とは言っても、実証されなければ話にならない。凄いことを言う弁舌の徒はネット上にいくらでもいるが、言うことは私にもできる。空理空論がまかり通る今日、実証しなければ人は納得しない。K美術館は私なりの実証実験だった。しかし、実証という表現は聞こえはいいが、実際は愚考の愚行にも見られる。まあ、グラウンドワーク三島もK美術館も、現前の利益こそ至上の命題と考える人たちから見れば、愚考と愚行の積み重ねと映るだろう。

 風が吹かないのでブックオフ沼津南店へ自転車で行く。久世光彦『一九三四年冬─乱歩』集英社1993年初版、田中光ニ『爆発の臨界』祥伝社ノン・ノベル1974年初版、計210円。帰りには西風が強い。追い風でよかった。長泉店に寄るが何もなし。

 丸谷才一『みみづくの夢』中公文庫1988年初版の前半を読んだ。最初の「男泣きについての文学論」。

《 古代はこれくらゐで切上げて、平安初期の菅原道真に移ります。大宰府に流された彼は、
   家を離れて三四月(みよつき)。落つる涙は百千行(ももつらちつら)。万事みな夢の如し。時時(よりより)彼(か)の蒼を仰ぐ
  といふ調子で(川口久雄の書き下しに従ふ)、しきりに落涙を歌ひました。 》

 このように川口久雄が出てくるので、川口久雄『平安朝の漢文学吉川弘文館1981年初版を本棚から抜く。函から本を出すと、付箋が付いている。昔読んだらしい。その箇所を読んで合点がいった。

《 こうして明治前半期は、江戸漢文学の余波たるにとどまらず、江戸漢文学の残山剰水たるにとどまらない。海彼における稀有の経験を、漢詩表現というオブラートに包んでわが列島社会にもたらしたのである。明治前半期知識人の間に、異様な欧化心酔の旋風をまきおこす反面、その文明開化熱の下地に江戸三○○年が培った儒教的漢学的な教養と漢詩漢文による表現能力とが西欧的なものを摂取する地盤を形成していた。鴎外の航西滞独の日記にしろ、漱石がひたむきに英文学を消化したあとの心境がものした漢詩作品にしろ、実にこうした明治漢文学のエネルギーの岩盤から露頭した輝く珠玉であった。それは同時に日本漢文学の終末をかざる記念碑となるのである。 》

 頂点、クライマックスを迎えたあとには終息、終焉がすみやかにひっそりと訪れる。

 ネットの見聞。

《 ドイツに在住している日本人学生が作ったアニメが国際賞を受賞しました。このアニメのタイトルは「Abita(アビタ)」で、福島原発事故放射能汚染で苦しむ子供が主人公になっています。欧州だけではなく、世界中で様々な賞を受賞しており、色々な所で取り上げられているようです。 》
 http://saigaijyouhou.com/blog-entry-1519.html
 http://www.youtube.com/watch?v=KOlE6JxQ4us

 ネットの拾いもの。

《 親切な人が五千万円も貸してくれたり、偶然通りがかったスクーターが逃亡を助けてくれたり、人情が地に落ちたと言われる昨今、心温まる話が多いな。 》