「金子光晴」

 晴天。用事を済ませ、そのまま自転車でブックオフ沼津南店へ。通ったことのない細い道を行く。石の蔵があったり、面白い。 『奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝』晶文社1971年33刷(発売七か月で33刷)、阿久悠『愛すべき名歌たち ─私的歌謡曲史 ─』岩波新書1999年初版、色川大吉『日本人の再発見 民衆史と民俗学の接点から』小学館ライブラリー1996年初版、小沼丹 『黒いハンカチ』創元推理文庫2003年4刷、最相葉月『なんといふ空』中公文庫2004年初版、藤村幸三郎『直観パズル』河出文庫 1983年初版、計一割引579円。午後になったら外出する気が失せた。やっぱり歳か。一日分は動いたかな。ま、いいか。

 『ちくま日本文学全集009 金子光晴筑摩書房1991年初版を読んだ。いやあ、凄かった。収録された詩もいいが、自伝、 エッセイがすんごい。「詩人 金子光晴自伝」「どくろ杯」「マレー蘭印紀行」で前半生、二十世紀の初めの三十年が つづられているが、まあ、凄まじい生活だわ。金子光晴、1895-1975。

《 僕の性欲は、食欲とおなじで、女性の肉体に対する激しい食欲が、僕じしんを女性に捧げる感情とまったく一致していた ことも、先に述べた。この強烈な嗜好は、僕の十歳の頃のことで、僕は、少女を輪切りにする順序を描いて、それで密かな快楽 を味わった。 》

《 十二、三歳から十七歳位まで、僕は、三十男のするような放蕩をした。 》

《 だが放蕩は僕を苦しめた。欲情で女を抱いているときほど、うらはらな、心のさむざむしいことはなかった。そればかりか、 僕は、女たちの片輪や、醜さばかりに気がつくのだ。 》

《 ついに、僕は病床に就いた。二十歳の頃のことだった。/ 人はみな、その頃の僕を狂人あつかいにした。 》

《 僕の方も負けないで蕩尽した。二十万円にみたない金だったが、現在の金に換算すれば二千万円以上となるから、相当 使いでがあった。 》

《 僕の二十代の最後と三十代とは、くらい歴史であった。 》

 「くらい歴史」なら負けないぜい。しかし地味に凡庸に生きてきた身には、彼は波乱万丈の極みだ。ジェットコースターな 生活も凄いが、時代への鋭い批評にぐっと惹かれた。

《 僕らの知っている明治の人達は、封建時代のままのモラルやものの考えをうけつぎながら立身出世と金力万能主義を、 このんで口にする人が多かった。 》

《 その年の九月一日に、関東一円にわたる大地震があった。 》

《 単なる災厄ではない。明治が早幕に築きあげた新しい秩序が、ようやくその上塗りを剥がされ素地の非力を露呈しはじめた ものとも考えられる。そのどさくさのあいだにおこった朝鮮人さわぎや、左翼書生への精神病的な当局、並びに一般市民の警戒 ぶりが、はっきりそのことをものがたっている。 》

《 およそ、白秋や杢太郎から萩原朔太郎にいたるまで、大正時代の人たちのあいだでは、「自個」は元来おのれに似たものの 寄せあつめで、それ自身が自発的にあゆみ出すための芯となる思考の根、つまり思索の実践力というものをもっていなかった。 》

《 自分自身で考えてはいないのである。感じるだけで、考えない時代、それが、大正という時代の限界として、僕らの心にうつる。  》

 以上、「詩人 金子光晴自伝」より。

 茨木のり子の解説「女へのまなざし」が秀逸。引用したい箇所はずいぶんあるが、ここは一つだけに。

《 本来、人と人とは対等であるということが、これほど血肉化され、体現できている男性が、日本にも居た!  というこころよい驚き。 》

 ネットの見聞。

《 この宇宙で何が一番の奇跡かといえば、人間がこの宇宙にいることが一番の奇跡。 》