『百人百句』

 大岡信『百人百句』講談社2001年4刷を本棚から抜く。「まえがき」から。

《 どういうわけか、俳句については、近年に至るまで百人の俳人の百句撰の試みはなかった。私の知るかぎり、 詩人高橋睦郎氏の『百人一句』(中公新書、一九九九年)がはじめての試みだったように思う。 》

 本棚には金子兜太『愛句百句』講談社1978年初版、塚本邦雄『百句燦燦』講談社文芸文庫2009年3刷がある。 後者の元本は1974年に講談社から出ている。知らないとは意外。

《 私は自分の好みに従ったので、当然その好みには片寄りがあるだろうことを知っている。 》

 通覧して好みの句、知らない句、これ?と意外に思う句、さまざま。夏目漱石の句。

《   秋の江(え)に打ち込む杭(くひ)の響(ひびき)かな   》

 若いころガツーンと感動した一句。漱石が伊豆修善寺で喀血、療養中の作だと大岡信は書く。

《 伊豆といっても修善寺は山の中で、西の駿河湾、東の相模湾の中間にあるが、海からは遠く、入り江で 杭を打ったところで聞こえるはずもない。だからこの句は実景ではあり得ない。そういうことを知らないと 理解が中途半端になる。この杭は幻聴なのである。 》 209-210頁

 中途半端な理解でした。杭を「悔い」に改変して俳句を作れねえかなあ、と呻吟した。人様に見せなくてほっ。 晩飯だ、喰い改めよ。
 種田山頭火ではなく、尾崎放哉(ほうさい)が選ばれている。

《   枯枝(かれえだ)ほきほき折るによし   》

《 自由律俳句ではもう一人、種田山頭火が有名だが、放哉の方が鋭くやせており、他の何ものをも生まない点で 尖鋭だった。生まないというのはつまり、追随者がいないのである。 》 285頁

《 山頭火の場合は行った先で必ず誰かの世話になっている。(中略)しかし尾崎放哉の場合は援助してくれる人も なくなり、生きるうえで無一物となった。 》 286頁

 北一明の陶芸作品と晩年を思う。飯田市に帰郷して人知れず亡くなった。「無一物」。彼がよく書にした。

《   黄泉(よみ)に来てまだ髪梳(かみす)くは寂(さび)しけれ   》

《 中村苑子は大正二年(一九一三)三月二十五日、静岡県生まれ。 》 358頁

 詳しくは静岡県伊豆市大仁町生まれ。2001年没。地元ではほとんど知られていない。もったいない。

《 私が重信のところに初めて行ったときから、彼女は私に独特な親しみをもっていて、夜明けまで飲んでいる 若造のために、彼女は着物を崩さず、重信が酒というと、さっと持ってくる。私が最初で、俳人の加藤郁乎 (いくや)、次に歌人の佐々木幸綱もやっかいになったらしい。高柳重信の説では、この三人はたまげるくらいの 酒飲みだということになっている。 》 358-359頁

 『俳句研究』1983年11月号「特集・追悼 高柳重信」、加藤郁乎の追悼文から。

《 この前後から折りをみては高柳子を訪ね、発行所となった代々木上原の中村苑子宅で文学論俳説を拝聴、 苑子さん手づくりの肴で酒間の興を吟々盛り上げていただいた。 》

 高柳重信(じゅうしん)は『俳句研究』の発行人。『俳句研究』1982年4月号掲載の加藤郁乎の俳句から。

《   一対の男女にすぎぬ夜長かな

    しぐるるやこれ俳諧の一大事

    片時雨塵外狐標筆一本   》

 『百人百句』に高柳重信は入選、加藤郁乎が入っていないのが不満。金子兜太『愛句百句』には「天の川 ねむりの四肢の獅子となり」が、塚本邦雄『百句燦燦』には「雄蕊相逢ふいましスパルタのばら」が収録。

 ふと本棚に目がとまった。百だ。梅原猛『百人一語』朝日新聞社1993年初版、白川静『漢字百話』中公新書2003年 26刷、高橋睦郎漢詩百首』中公新書2007年初版、谷沢永一『百人百話』中公新書1999年25刷、出久根達郎『百貌百言』 文春新書2001年初版。

 以前、題名に数字がある本のリストを作ろうと思った。分数から無限まで、ありすぎて止めた。アルファベットも 考えた。26文字だから面白そう。どなたか試みていそう。んなことを思い出したのは、本棚に深尾須磨子『マダム・ Xの春』小沢書店1988年初版、有栖川有栖ほか『「Y」の悲劇』講談社文庫2000年初版、芦辺拓『名探偵Z』ハルキ ノベルス2002年初版が目にとまったから。阿刀田高『Aサイズ殺人事件』文春文庫1987年10刷からできそう。多島斗志之 『症例A』角川書店2001年4刷、J.M.ジンメル『ニーナ・B事件』中公文庫1986年初版、ジョルジュ・バタイユ『C.神父』 講談社世界文学全集1976年初版、西村京太郎『D機関情報』講談社文庫1978年初版、森博嗣『すべてがFになる』講談社文庫 1988年初版、ジョン・バージャー『G.』新潮社1976年3刷、姫野カオルコ『H(アッシュ)』徳間文庫1997年初版、今邑彩 『i(アイ)』カッパノベルス1990年初版、太田忠司『Jの少女たち』講談社ノベルス1993年初版、久松淳『K(ケイ)』 新潮社1990年初版、ポーリーヌ・レアージュ『O嬢の物語』角川文庫1973年初版、松浦理英子『親指Pの修行時代・上』 河出書房新社1994年16刷、魯迅『阿Q正伝』岩波文庫1969年20刷、広瀬正『T型フォード殺人事件』集英社文庫1982年初版、 トニー・ケンリック『消えたV1発射基地』角川文庫1986年初版、夏樹静子『Wの悲劇』角川文庫1984年5刷、スティーヴ・ エリクソン『Xのアーチ』集英社1997年2刷。
 ついでに姫野カオルコ『A.B.O.AB』集英社文庫1998年初版、森青花『BH85』新潮社1999年初版、ドス・パソス 『U.S.A.(上)』新潮文庫1957年初版、乙一『ZOO』集英社2003年5刷、すべて本の題名。他にはエラリー・クイーン 『X』『Y』『Z』、アガサ・クリスティ『ABC』など有名どころ。もっていない本ではバシリス・バシリコス『Z』 角川文庫1970年など。e もあるな。Lだと西村京太郎か。わ、いかんいかん、きりがない。

 ネットの見聞。

《 「伝統は革新の連続であって、時代の変化を恐れてはいけない。 今、作り出すものが新たな伝統になるかもしれないのだから」。 》 東洋経済ONLINE
 http://toyokeizai.net/articles/-/109623?page=5

《 私たちに必要なのは、震災前のような定型的な学問や研究ではもはやありえない。誤解を怖れずに言えば、 「ガキ大将」のような肉感的な知の探求が求められているのではあるまいか。 》 椹木野衣
 http://www.art-it.asia/u/admin_ed_contri9_j/gz3IiMWAUKsfpOjvPrxT

《 清原の病院なんてどうでもいいから、甘利の病院と入院生活取材してこいよ。 》

 ネットの拾いもの。

《 「けいびがいしゃ」→あまり 重要なことはやってくれない会社。 》

《 無駄なもの → 消火器だな。一度も使ったことがない。 》

《 無駄なもの → 日本 「韓国併合かな。」 》