「 SAKURA 六方面喪失課 」

 一昨日ふれたギリシャの歌姫ハリス・アレクシーウ HARIS ALEXIOU の2012年のCDアルバムを 昨夜聴く。秋の深い夜に心に沁みる。
 http://www.ahora-tyo.com/detail/item.php?iid=12130

《 全編で抑えたトーンで歌い込まれているのですが、その静〜抑制のなかから 自然にスーっと現れる情念のような言葉では表せない感情が立ち現れる。 言葉にすると陳腐ですが、そんな歌唱を聞かせてくれます。 》

 1970年代半ば、東京・下北沢にあったレコード店バンブーハウスでジャケット買い した1976年のセカンドアルバムから四十年ほど。アルバムの半分は持ってると思う。 前世紀はネット情報などなく、アルバムを求めて下北沢、渋谷、新宿、六本木と巡った。 1980年代後半のジャケットにはやつれた表情。1990年代、迷いが感じられた。 その時期は離婚の痛手からまだ立ち直っていなかったか、新機軸を求めて試行錯誤の 時だったか。その頃のCDは何度も聴く気はしない。今世紀に入ってぐっと復調した。 何かが吹っ切れた。歌声は広がり、哀愁を帯びた深い味わい。けれども哀調に流れず、 深い底からの立ち上がり、生きていくという決意のような心意気が、こちらの心を 深いところから掬う。同行二人。このCDには英語訳がないので歌詞は不明。 そういう意味では楽器と同じだ。歌詞がわからないほうが、声そのものを堪能できる。 私は器楽演奏が好きなのでこれでよろしい。
 今年の新作はまだ入手していない。アルバムタイトルは “夢をもう一度” というようだが、私はいまだ夢の途上。来生たかお『夢の途中』よりも、みなみらんぼう 『途上にて』だ。斃れるまで途上だろうな。
 http://elsurrecords.com/2014/10/20/haris-alexiou-ta-oneira-ginontai-pali/

 肌寒い雨。家こもり。

 山田正紀『SAKURA 六方面喪失課』トクマノベルス2000年初版を読んだ。東京・ 綾瀬署に創設された失踪課は、各署のやっかい者、鼻つまみ者らを収容する吹き溜まり課。 「六方面喪失課」と揶揄されている。平成二年七月十九日木曜。彼らが遭遇する奇妙な事件。 自転車泥棒ブルセラ盗難などなど。それらの事件が深夜、一点に収斂する。

《 様々な事件が起こったのだが、どうもそれらの事件は互いに微妙に関連しているふしが あるのだ。 》 248頁

 ラストは綾瀬市が消失する大トリック。そしてドンパチ大活劇。いやあ、面白かった。

《 楽しんでいただきたいと思う。楽しんでいただけるものと思う。作家としては そのことだけを願っている。 》 「あとがき」

 スカッとした。文庫になってないようだ。もったいない。

《 大体、いまのエンタ−テイメント界に蔓延している事大主義が気に入らない。新書は 批評の対象にならないからハードカバーのほうがいい、などというのは作家の敗北主義 だろうし、批評家たちの怠慢以外の何物でもない。そんなものは鼻の先で笑ってやればいいのだ。 》  「あとがき」

 その心意気、気に入った。山田正紀、ハリス・アレクシーウそして私、1950年生まれ。 吾妻ひでお、も。

 新刊の鷲尾三郎『妖魔の横笛』盛林堂ミステリアス文庫が届く。

《 盛林堂販売分、店売り・通販ともに完売となりました。 》
 http://seirindousyobou.cart.fc2.com/

 早過ぎ。

 ネットの見聞。

《 アヴァンギャルドはやはりエクセントリックな(中心から外れた)場所から現れる。 》  林哲夫

《 かつてドイツ人はナチスに熱狂したと言われますが、ナチス党が全有権者過半数の 得票を得たことは一度もありません。人びとが選挙にそっぽを向いて、投票率が下がったことが ナチスの勝因でした。投票権を放棄した人びとがナチス政権を支えたと言えるのです。 》  池田香代子

 ネットの拾いもの。

《 仕事は忙しいが、店は実に暇である。 》

《 マンション『パルテノン新田』 》