「 後背地 」

 昼前に野暮用を二つこなしてお掃除も済ませ、昼過ぎに読書を始めたら猛烈な眠気。 夜は九時間余り寝ているのに〜。蒲団に入る。起きれば早、日は西に。冬の日は短い。 夕食の買出し。きょうは何をしたのか。こんな一日があってもいいか。

 毎日新聞7日の「今週の本棚」に清水茂『イヴ・ボヌフォワとともに』舷燈社という 未知の著者への堀江敏幸の評。イヴ・ボヌフォワは、1923年生まれのフランスの詩人。

《 ボヌフォアは、十代の終わりにシュールレアリスムの詩に出会い、デ・キリコの絵 《街の神秘と憂鬱》に衝撃を受けたという。 》

 私は中学三年に衝撃を受けた。

《 遠近法と単純な明暗の区別からはみ出していく何か。分析から逃れたところにある 真実の場。ボヌフォアはのちにそれを、たどりつけないとわかっていながら目指し続ける べき空間ととらえ、「後背地」と呼ぶことになる。 》

 後背地。新しい視点だ。すぐに浮かぶ変換語は荒廃地。見渡せば花も紅葉もなかりけり。

《 詩や絵画や音楽を通じて彼が追い求めているのは、限りあるこの生に足場を持つ詩だ。 私たちの存在はもいつも死に脅かされていて、命はいつか絶える。だからこそ、世界を 閉ざしていく抽象的な概念から離れ、眼に見えないものを基底にした「真の現存」を見すえて、 どこにもない「後背地」を意識すると同時に、いまここの現実に拮抗しうる言葉を自分のものに しなければならない。  》

 堀江敏幸のこの言葉から八王子夢美術館で開催中の銅版画家清原啓子を連想。
 http://www.yumebi.com/

《 今回の展覧会は清原啓子作品集の出版を記念して企画されたものです。 》

 手元には遺族が出版した大判の作品集がある。精緻を極めたとも言いたくなる細密な描写から 浮かぶ密室の世界幻視。「断章」から。

《 気品
  私は その事を一番重視しているし
  それを判断の規準にしている
  その事が全ての要素を芸術としての総括的なものを内包していると思うから
  泥臭い 下品 品格の無いものを認めない  》

 共感する。それにしても、彼女の銅版画はどれも、消失点のその先がない。 ブラックホールのように、その先の突破口が感じられない。まさしく出口なし。密室の悲劇。 後背地には荒廃地がひろがる。

 ネットの拾いもの。

《 ダイエーの拡大路線の基本理念は「大きすぎれば潰せない。」でしたが簡単に潰れましたねw
  結論「大きすぎても簡単に潰れる。」 》