昨日の内野まゆみさんの線描画から連想が広がった。線描画というと、ジャコメッティが 矢内原伊作を正面から描いた素描と洲之内徹が愛蔵した安井曾太郎の素描『少女』1940年が浮かぶ。 ジャコメッティは対象の本質へ迫るかのように、何本もの線を引き、像を収斂させていくよう。 安井曾太郎は、少女のやや斜め上方から少女のふっくらとした優しさを線で捉えようと試みて いるよう。二人の画家とも、眼と手での志向〜試行〜思考の過程が、幾筋もの線に感じられる。 たいして内野まゆみさんの線描画テディ・ベアは、試行の過程はなく完成品となっている。 一本の描線による完成。すなわち、対象が自らのうちに確固たるモノとしてある。
線で思い浮かぶ俳句。
一月の川一月の谷の中 飯田龍太
一すじの春の日さしぬ杉の花 前田普羅
夕虹に蜘蛛の曲げたる青すゝき 飯田蛇笏
すすみ来て空間かへす一蛍火 山口誓子
袈裟がけに雪の刀痕葉月富士 富安風生
いなびかり北よりすれば北を見る 橋本多佳子
草二本だけ生えてゐる 時間 富澤赤黄男
一縷にて天上の凧とどまれり 平畑静塔
月明の一痕としてわが歩む 藤田湘子
光堂より一筋の雪解水 有馬朗人
雨の絲落花の絲ともつれざる 稲畑汀子
《 五月は喪服の季節といへり新緑の駅出づればまぶしき真昼 尾崎左永子 》
そんな歌どおりの暑い昼過ぎ、三島駅北口にある大岡信ことば館へ、谷川俊太郎と 工藤直子の対談を聴きに行く。
工藤直子さんとは三十ニ年ぶり。あれは一九八三年五月、中井英夫氏のお宅を訪問する前に、 その途中のアパートに住んでいらした工藤直子さんにご挨拶。手紙は遣り取りしていたが、 初対面。歯痛に悩まされていた工藤さんにはドアの外で挨拶しただけ。そしてその先の 中井宅へ。そのときのことは『月蝕領崩壊』立風書房1985年初版、153頁に記されている。
対談終了後に工藤さんから恵まれた本を見せて声がけ。お疲れの様子なのでそれだけ。
ネットの見聞。
《 写真家として光と影から生まれた無限の階調を見つめていると、ポジティブと ネガティブという単純な二元論に様々な現実現象を還元して捉えることの罪に気付く。 真実は、光の中にも影の中にも無い。それが存在し得るのは無限の階調の中だけだ。 》 大野純一
https://twitter.com/ohnojunichi
ネットの拾いもの。
《 NHKニュースで、小笠原・母島の人が電話インタビューに答えていたんだけど、 めっちゃ揺れたそうなのだが、それに驚いたのかゴキブリがぞろぞろ這い出してきたそうな。 それって地震そのものより怖いよ! 》
《 なあ、どう考えても国民の生命と財産を守るのは災害対策であって、 米軍に食い物や弾運ぶ話じゃねえよな、おい。 》
《 アカデミズムの意味を考えたことないやつが有識者とかいってんのな。 》