「黒の過程」

 埴谷雄高『散歩者の夢想』ランティエ叢書1997年初版を読了。酒飲みの文士の話など、 いかにも、で面白い。まあ、酒の上の不埒、武勇伝は枚挙にいとまがない。引用するほどでもない。

 昨日のハリー・クラークへの記述《 漆黒を我が物にしている。 》という拙文から連想が働き、 中江嘉男・文/上野紀子・絵『小宇宙 鏡の淵のアリス』河出書房新社1974年を本棚から抜いた。 瀧口修造の序文に惹かれて当時購入したのだが、寄り目の少女チコが気になった。全ページ白黒の 絵。そう、それは白黒、モノトーンの絵。鉛筆か他か。いずれにせよ、この時期も私は白黒に 惹かれていた。出合いはハリー・クラーク。中学三年生の時に買った『世界文学全集 8 ポー傑作集』 河出書房1965年初版の挿絵がハリー・クラークだった。その白と黒の精緻な絵に心を奪われた。 アート紙ではないので印刷は雑だったが、惚れた。ポーの世界を眼前にリアルに出現させていた。 ここから黒の過程が始まった。
 1975年、決定的なことが起った。舟崎克彦・文/味戸ケイコ・絵『あのこがみえる』偕成社だ。 それまで雑誌『終末から』筑摩書房の表紙絵で馴染んでいた味戸さんのこの本をどこで買ったのか 記憶にない。多分近所の本屋だろう。ひと目惚れ。短い詩と鉛筆画で構成されたなんとも簡潔な本。 数冊買って知人たちに贈った。生涯忘れ得ぬ本だ。K美術館では常設展示。閉館後は味戸さんに返却。 この絵などを見に椹木野衣氏も来館、『美術手帖』に熱いレビューを書いた。
 そう、黒の画面はその先、その果て、その彼方へと見る者を拐ってゆく。黒に五彩あり、と 言われるが、そんなものじゃないだろう。呉一騏(ご・いっき)の水墨画の杳杳たる黒の生成、 長谷川潔の銅版画(メゾチント)の漆黒、深澤幸雄の銅版画の深い奥行き、北一明の茶碗の宇宙的深遠。 そして味戸ケイコさんの息を呑む深み。どの作品も、感じる人には感じるブラックホール的な吸引力を 備えている。気迫の訴求力よりも、強力な吸引磁力。
 黒の過程。「黒の仮定」といった仮題で拙文をものにしたくなった。それには当然、埴谷雄高も、 音楽の浅川マキ、山崎ハコ藤圭子も視野に入る。絵画、文学、音楽、ジャンル横断だ。

《 浅川マキを聞く日々。体まで黒く染まりそうだ。 》 岡崎武志
 http://d.hatena.ne.jp/okatake/20160117

 ネット注文したランティエ叢書の二冊が届く。五木寛之『旅のパンセ』1997年初版帯付、野田宇太郎 『東京ハイカラ散歩』1998年初版帯付、計1000円。これで満足。

 友だちからメール。来月近所のお店リトルノで河合隆男氏の彫金作品の写真十二点を展示する 細田裕紀氏の昆虫写真が、ぐんま昆虫の森の「第10回ぐんま昆虫の森フォトコンテスト」で入賞。 幸先がいいわ。
 http://www.giw.pref.gunma.jp/www/contents/1450337947496/index.html

 ネットの見聞。

《 「本当にいいものとはどんなものか、人生の最初から知らないままに来て、したがって 本当にいいものを見ても理解出来ないから、本当にいいものが持っている妥当な値段に対して、 高い、と人々は言ってしまう」、片岡義男「物価とは何か」、『自分と自分以外』 (NHK出版、2004、p.222)。 》

《 深夜12時頃から雨が雪に変わりはじめていた。 》 本造りの水仁舎
 http://suijinsha.jugem.jp/
《 ♪ 兄は夜更け過ぎに ♪ 》
 https://www.youtube.com/watch?v=Vxn2vbdH6a0

 ネットの拾いもの。

《 雪道を郵便局まで行ったのに必要書類わすれた…… 》

《 東上線ホーム大混雑の中「業務放送業務放送、現在電車がどこにいるのか教えてください」 …どっと笑い声(^-^)…駅員もわからんらしい(^-^) 》