「空間から時間へ」

 昨日ふれた大岡信・編『全集・現代文学の発見・第十三巻 言語空間の探検』学藝書林1969年初版、大岡信の解説 「『現代詩』の成立──『言語空間論』──」を久しぶりに再読。新たな視界がまた開けた感じ。

《 すなわち、言葉はこの現実世界の内部、時間的存在たるわれわれの内部で働くものでありながら、たえず われわれを、現実やわれわれ自身の肉体の外側へと、超越させるのである。言葉はこうして、「もうひとつの環境」 となる。「言語空間」とは、これらのことすべてを含んだ意味での「空間」だということになろう。したがってそれは、 当然、人間の本質をなす「時間性」をも含んでいるはずである。 》 517頁

《 すなわち、言葉を「もの」に還元するということは、単なる物質に還元するということとはまったく違う性質の もので、むしろ、虚の空間をより純粋によび起すための、必要な還元作用にほかならない。 》 517頁

 虚の空間を喚起させる絵画から進んで、虚の時間を喚起させる絵画へ、と考えが及んだ。時間の経過を描いた絵画は 昔からいろいろある。筆触の軌跡から時間の経過を感じさせる絵画もある。例えばジャクソン・ポロックの絵。しかし、 生成する時間を感じさせる絵画はなかなか見られない気がする。上條陽子の1990年代の絵、安藤信哉の1970年代の絵に それを感じる。
 http://web.thn.jp/kbi/kamijo.htm
 http://web.thn.jp/kbi/ando.htm
 北一明の飛白の技法で作成された書作品にも生成する時間を感じる。意外かもしれないが、味戸ケイコの絵にも生成する 時間を感じる。建築物のように、完成形があって、完成へ向けて描いているのではない。描いていていつの間にか出来た絵。 そんな印象をこの四人の作品から感じる。筆、絵筆、鉛筆などによって描き始めて筆を置くまでの長短様々の制作時間が、 物理的時間の経過ではなく、生成してゆく時間の経過と感じる。虚の時間だ。(大岡信のようには説明できんわ。ま、当然だが) そんな生成する時間を感じさせる作品に、私は一も二もなく惹かれるようだ。造形家白砂勝敏の木彫の椅子にもそれを感じる。
 http://shirasuna-k.com/gallery/woodcarving/
 おそらくそれは時間芸術である音楽とも密接につながっている、いや同根であろう。演奏の時間の中に空間性を感じる。 大岡信流に言えば、虚の空間性。そう、上記の作家たちの作品には、どこかしら音楽性を感じる。上條陽子には現代音楽を、 安藤信哉には小編成のクラシック音楽を、北一明にはフリー・ジャズを、味戸ケイコには例えば内田光子のピアノ演奏を、 白砂勝敏にはアフリカの音楽を。
 上記の作品群を前にして、生成する時間(虚の時間)の美しい戦慄を感じる。対比される音楽演奏には美しい旋律=戦慄を 感じる。
 それらは作家の意図を超えて、あるいは意図せずに出来てしまったもの、ともいえるだろう。作者の眼と鑑賞者の眼は違う。
 美は危うきに遊ぶ。生成する時間(虚の時間)の作品は、生成の危うさを渡りきっている。安定した作品は凡庸への一里塚。 不安定な作品は破滅への一本道。
 以前「物語性」(物語的ではない)とよんでいたものは「生成する時間」かもしれない。それにしても、「生成する時間 (虚の時間)」とは何だろう。言葉でしか表現できないもの……。やはり言葉か。予感としては、完結のないもの、かも。 そう、鑑賞する人によって一完結し、そして次へ開かれゆくものかも。あ、それは名作、古典のことじゃないか。

 午後晴れ間がのぞいたので、自転車で某ギャラリーを訪問、それからイトーヨーカドー三島店の本屋へ。ポール・ヴァレリー 『精神の危機』岩波文庫2010年初版を購入。1101円。外国翻訳小説は置いてないと店員。エーコの新刊は買えず。

 ネットの見聞。

《 『散歩の達人』は20周年。100人が教える酒場100軒。 》
 http://shop.kotsu.co.jp/shopdetail/000000001814/019/O/page1/order/

 読んで行くか、読まずに行かぬか。後者だな。読んだら行きたくなるわ。

《 Windows10の初期設定、最初の画面で左下の小さな「詳細のカスタマイズ」を選ばないと、文字入力、閲覧履歴、連絡先、 カレンダー、位置情報などがみんな「Microsoftに送信」される怖い設定。 》
 https://twitter.com/keigomi29/status/709992165745795072

 だから7のまま。ウルトラセブンだ。

《 ノーベル賞、コロンビア大ねえ。例の人と首相の名を借りて「ショーヒA」作戦と呼んでもいいか。 》 東京新聞「筆洗」
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016032002000115.html

 ネットの拾いもの。

《 プロフィールに学歴書いても「権威主義者」と罵られこそすれ「卒業証明書見せろ」とは言われないもんなあ。 京大大学院くらい修了しとこうかなあ。 》

《 ホラッチョ安倍ッチョ 》