秋霖、秋涼。今朝はその気配。昨日は残暑のもと自転車で走ったが。一日で季節が移った。
『相倉久人 自選集 されどスウィング』青土社2015年初版、つづき。
《 言いたいのは、音楽の質を決めるのは、表現者の身体性とのつながりが深い音色(音質)とリズムで、メロディーや ハーモニーといった一見より音楽的にみえる要素は、むしろ付随的な意味しかないということなのだ。そう考えれば、 ことばが通じ合わなくても、またことばで説明できなくても、インストのジャズがノリ一発だけでリズミックに高揚する ことがありうる理由も、すんなり納得がいく。 》 170頁
《 音楽にかぎらず表現というものはすべて、一方に表現する人間がいて、他方にそれを表現として受取る人間がいて 初めて成り立つ。ということは、ある表現をだれがどう受取ったかということは、それもまた表現の一部というか、 重要な要素なのだ。それゆえにすぐれた表現は、その資質に応じただけの多彩な読みを生む。読み(つまり解釈) ということもまた表現にふくまれる重要な要素なのだ。 》 173頁
《 「あんなものは×××じゃない」という言い方が人をけなしたり、おとしめるための常套句として通用するこの国では、 分類する箱がみつけにくいものは売れない、少なくとも売りにくいということがある。 》 178頁
《 おなじ絵柄をキープしつづけるには、流れに抗して踏み留まる気力と体力が必要なのだ。 》 203頁
《 ぼくはつねづね、オリジナリティというのは、オレにはこうしか出来ないというスタイルに到達した時に使うコトバで、 誰もやっていないただの目新しさとは違う、と主張しつづけてきた。 》 210頁
《 民族が本来持っている独特のリズム感の違いがよく出ています。向こうのリズムは律動、日本、邦楽のリズムは 呼吸ですよね。呼吸で間を取っていく。そのふたつを合わせるのは難しいんですよ。 》 231頁
《 僕が一番心がけたのは、ミュージシャン自身が考えてもいなければ、気づいてもいない表現を見つけることですね。 》 243-244頁
相倉久人はいい人生を送ったなあ。
ネットの見聞。
《 【詭弁のカタログ】
言論の自由に訴える誤謬 I'm entitled to my opinion
自分の主張について根拠を示さず、相手からの反論にも直接応じず、
ただ自分にはそのように主張する権利があると抗弁する詭弁。
論敵が言論抑圧者であると印象付けようする点で質が悪い。 》 くるぶし(読書猿)
https://twitter.com/kurubushi_rm/status/784002358107705344
《 隣のおじさん−大隅良典君(ノーベル生理学・医学賞の受賞を祝して) 》 毛利秀雄
http://www.nibb.ac.jp/pressroom/news/2016/10/07.html
ネットの拾いもの。
《 ノベル文学賞ってないのか。 》 吉村萬壱
https://twitter.com/yoshimuramanman/status/784420424167792640
《 人っ子一人以内展示室 》 古本屋ツアー・イン・ジャパン
http://furuhonya-tour.seesaa.net/article/442582999.html