『日本文化における時間と空間』四

 加藤周一『日本文化における時間と空間』岩波書店2016年19刷、「第2部 空間」を読んだ。卓見。

《 他方遠い外部からムラを訪れるのは、またムラ人の下位にあり、彼らから対等とはみなされない人々でもあった。 》  159頁

《 このようなムラ社会に典型的な内人(ウチビト)/外人(ソトビト)──隣村との平等を例外とする不平等関係──が、 長い間、少なくとも一○○○年以上続けば、そのことからムラの水準ばかりでなく日本社会のあらゆる水準において、 すべての人間関係を、相手との上下関係に還元しようとする強い心理的傾向が生みだされるだろう。 》 161頁

《 しかるに一九世紀になって、中国はアヘン戦争で英国に敗れ、その十数年後には鎖国日本も江戸湾に入った米国艦隊に なすところを知らず、開港・不平等条約を受け入れた。中国はもはや見上げる模範ではない。 》 161頁

《 日本共同体の視線は見上げるか見下げるかで、水平に相手に向う習慣はないから、もはや見上げることのできなくなった 中国は多かれ少なかれ見下げるほかはない。 》 162頁

《 日韓関関係も同じ。 》 162頁

《 ムラ人と遠くから来た外人(ソトビト)との伝統的関係は、今日もなお生きているのである。 》 164頁

《 労働力の都会集中に伴った農業社会の価値観と行動様式が、日本の経済的「成功」に寄与し、経済的「成功」がその価値観と 行動様式の延命を保証した。これが敗戦後日本の集団主義の歴史である。その栄光と悲惨。自殺した社員の遺書にも言うように 「私は死んでも会社は永遠」だった時代。 》 224頁

《 このような集団主義の特徴は現代日本の中にさえも生きている。企業の決定過程への中堅社員の参加とその意味での平等主義、 「リストラ」とよばれる「村八分」、そういう習慣を職場から国の全体にまで拡大すれば、「それでもお前は日本人か」 ナショナリズムやおどろくべき付和雷同性があらわれるだろう。 》 226

 朝、雨がそぼ降る。あーあ。天気予報は当たらねえわ。自転車を断念。バスで往復して用事を済ませる。ま、車窓からの景色を 楽しんだ。建物はどんどん変わる。お店はどんどん潰れている。このバス路線、借りる人は……いないな。
 珈琲のお一人淹れもいいが、高品質緑茶のお一人淹れも味わい深いと感ずる静かな午後。
 編集兼発行人の御沓幸正氏から恵まれている『南大分マイタウン』今月号の俳句欄。

   女正月独り居なれば友三人  匿名

 友を誰とみなすかで鑑賞はころっと反転する。仏三尊か。姦しい女性三人か。はたまた……。匿名、だなあ。

 ネット、いろいろ。

《 何かを見て綺麗だと思うのは完全に個人的な体験だが、「ああ、本当だ。綺麗だね」と言ってくれる人がいてほしいのは 何なのだろうね。散りかけて形が解体し始めた薔薇は綺麗なんだよと誰かに言いたくなるのだ。 》 林由紀子
 https://twitter.com/PsycheYukiko/status/841472875961839616

 共感してくれる人がいて、感動はより深まるのだと思う。拙ブログも共感を密かに求めているのかも。誰に? 未来の私?

《 NHKスペシャル福島原発メルトダウンの検証してるのを観ていたが、やはり人間に原子力の制御は不可能なんじゃないかと 思った。今は福島を教訓に備えをしているだろうけど、次はまた別の「想定外」が起きるだろう。 》 太田忠司
 https://twitter.com/tadashi_ohta/status/840908964426530818

《 森友学園に関する私の発言に、財務省が抗議してきたので反論しよう 官僚にこんなに裁量があっていいのか? 》 �癲橋 洋一
 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170313-00051201-gendaibiz-bus_all

《 いつの日か「自衛隊に派兵を命じたことも、駆けつけ警護を付与した記憶も無い」と言い出すかも知れないこの人に 防衛大臣の資格など無い。 》 清水 潔
 https://twitter.com/NOSUKE0607/status/841453967171244033

《 稲田さんは自分を防衛できるか 》 鯨統一郎
 https://twitter.com/kujira1016/status/841472221247819778

《 ツタヤが徳間書店を傘下に入れるのか。いよいよ蔦屋重三郎みたいになってきたな。 》  舞狂小鬼(洞谷)
 https://twitter.com/okiraku_k/status/841413092336582656