大岡信『詩人の設計図』書肆ユリイカ1958年収録の表題作「詩人の設計図 現代詩はなにをめざすか」を『大岡信著作集 第四巻』青土社1977年初版で読んだ。これまた脱帽。 濃密で勢いのある文章に呑まれ、一気に読んだ。ま、たった十五ページだけど。二十代半ばの執筆とは。大岡信は最初期から出来上がっていた。
《 創造されたものはかならず、それを観る者、読む者の現実感覚に変革を与えるが、一体それはどのようにしてひき起こされるものなのだろう。 ぼくにはそれが、創造者の生きている自由がぼくらをはげしくうつためだと思われる。 》
《 真に大きな作品は読者をいったんは足もとからゆさぶり倒しながら、やがて立ちあがるかれを、すでにひとりの共犯者にさせているものだ。読者はそのとき、 作品の色に染まった眼で世界を見直す。 》
《 必要なことは新奇な言葉を発明することではなく、逆に言葉をそれが埋もれている弾力性を失った慣習の外被の下から発掘し、その汚れを洗いおとす ことにある。 》
《 ひとが詩に感動するとき、かれがそこに感じとり、作品と生命を分かち合っているとまで感じられるほどの純粋な交わり覚えさせられる当のもの、 それは影像や音や観念や意味の複合体としての言葉の運動にほかならない。ここにあってすでにここにないもの、それが運動の本質だが、このことは運動こそ 自由のもっとも根源的なあらわれであり、そしてその自由は常に内に自己否定を含んでいることを示している。 》
《 自由は客体的に、現にそこに獲得されたものとして与えられうるものではなく、常にぼくら自身によって獲得されつづけねばならないものであり、 「自由のサンプル」という言葉はそれ自体矛盾しているからだ。 》
続く「鮎川信夫ノート」。
《 ぼくらはこと論理に関しては、理性によって理解するといえようが、作品を生んだ一人の人間については必ずしもそうは言えない。ぼくらが人間を 理解するという場合には、僕らの理解はもっと直接的だし肉体的である。それは人間というものが決して彼の表現の如くには意識的な部分だけで出来上がって いるものではないことをぼくらが暗黙に了解しているからだろう。 》
《 伝統について言えることといえば、それが変えうるものであり、また変えてゆかねばならぬものだということに尽きる。むしろ、これを変える力の伝承こそ 伝統の本質的部分だとさえいえよう。伝統とは共存する形成力と破壊力であり、同時に存在する形式と破壊なのだ。 》
続く「メタフォアをめぐる一考察」。
《 方法は方法の限界を常に突き破ることによって方法でありうる。それは何よりも、精神の運動そのものだ。 》
ずっと考えてきたが、説得力のある論述に形成できず、もやもやしていた論点を、特に「鮎川信夫ノート」の引用のようにはっきり言われると、だよなあと スッキリ気分。二十代半ばの執筆とは。出来が違う。
昼前、久しぶりににブックオフ長泉店へ寄る。文庫本を三冊。W・B・イエイツ編『ケルト幻想物語』ちくま文庫1997年13刷、駒田信二編訳『中国笑話集』 ちくま文庫2001年2刷、ダシール・ハメット『デイン家の呪い』ハヤカワ文庫2009年初版、計324円。なにかしら買いたい本があるものだ。
ネット、いろいろ。
《 現実っていうのは、例外ばかり。ていうか、例外から成り立ってるというくらいに、筋書き通りに行かないことが多い。そういう時、 理論なんてものはハナクソの役にも立ちやしない。理論は条件を理想的なレベルで設定してるからだ。現実の条件はカオスだからな。 》 高橋正明
https://twitter.com/buzzmeak/status/901628583902232576
《 みなさん、Revisionismの訳語として「歴史修正主義」を使うのはいい加減にやめて、「歴史改竄(かいざん)主義」と呼びませんか。 改竄を修正って言うの、明らかにおかしいでしょ。いいことないよ。 》 想田和弘
https://twitter.com/KazuhiroSoda/status/901634382829678592
《 医学の力でナチスの裏をかき、多くのポーランド人を救った医師たちの物語 》 ガラパイア
http://karapaia.com/archives/52244783.html
《 「自主避難者」震災統計から除外 避難継続、疑問の声も 》 朝日新聞DIJITAL
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170828-00000012-asahi-soci
《 おふとんで気持ちよさそうに寝る犬は可愛いが、そのおふとんはわたしのであって、おまえのではない。 》 近藤史恵
https://twitter.com/kondofumie/status/901858319379218433