大岡信作品の評価

 23日に大岡信の文学界の受容、評価をちょっと調べたが、他の本にも当ってみた。『現代日本文學大系 97 現代評論集』筑摩書房1973年初版は、 柳宗悦谷川徹三三木清と始まって橋川文三色川大吉に終わる三十四名に大岡信の名はない。これは年齢制限かもしれない。最も若い人は1930年(昭和5) 年まれの水尾比呂志だから。大岡信は1931年生まれ。次に『昭和文学全集 34 評論随想集 II 』小学館1989(平成1)年。

《 本巻は33巻に引き続いて、終戦直後から現在に至る、いわば昭和の後半期を中心に、七十三人、百二十七作品の評論及びエッセイを収録した。 》

 収録最後の人は三浦雅士。二篇収録。23日にリンクした三浦雅士だ。なんと、これにも大岡信は漏れている。次回配本の『昭和詩歌集』「昭和詩集 大岡信編」 には大岡信の詩も入っているが。平成元年でさえも大岡信の評論、批評、エッセイはさほど評価されていなかったとは。リンク先で三浦は書いている。

《 私は、大岡の詩と批評を、繰り返し読んできた。読んできてはいたが、集中的に読み直し始めたのはここ5、6年のことである。読み直して圧倒されることが 重なった。圧倒されて、これまで大岡は真正面から論じられることがなかったのだと、痛感した。 》
 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51947

 彼をしてこう言わせしめるとは。1955年刊行の『現代詩試論』から六十年余、亡くなる2017年になってやっと再評価、文庫化された。遅すぎだろう。 それで思うのが、『日本美術全集 第19巻 戦後〜一九九五』小学館2015年刊の「味戸ケイコ」の椹木野衣の解説。

《 幸い、静岡県在住の所蔵家の目に留まり、その多くが大切に保管され、未来に発見されるまでの、決して短くはない時の眠りについている。 》

 K美術館で味戸さんとともに常設展示した陶芸家北一明も同じような運命をたどる予感。まあ、それでもいいんだけど。明治の高級美術雑誌『國華』と 田島志一が編集していた審美書院の美術画集も、百年後の今日、そろそろ再発見再評価される機が熟したと思うが。

《 驚くべき情熱でわずか八年余間に刊行された美術品のような図書の数々は、今後だれも辿り着くことのできない一つの頂点だと思う。 そしてそれらの本には田島志一の心がある、是非ご覧いただきたい。 》 【田島志一と審美書院】  山崎純夫 》
 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/artbooks/kusa13.html

 それにしても田島志一という人は破天荒な人生を歩んだ。今で言うとベンチャー起業家。大当たり絶好調、有頂天。一転暗転、落魄。

 午前九時で33.2度。最高気温36.2度。うへえ〜。昼、源兵衛川最上流部で友だちと木製デッキに腰掛けて足を流れに浸す。気持ちいい〜。やはり川だねえ。

 ネット、いろいろ。

《 今日からNHKラジオの夏休み子ども科学電話相談が再開した。嬉しい……。地球に生命が生まれた確率は10の4万乗分の1らしいんだけど、 プールの中に腕時計の部品を投げ込んで、水の流れだけで時計が組み立てられるのと同じくらいの確立らしい。それだけで凄いんだけど、 例え方が素敵過ぎません? 》 あたそ
 https://twitter.com/ataso00/status/900517341468909569

《 汚染水処分 ゼロ回答 東電 規制委の安全策要請に 》 東京新聞
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201708/CK2017082602000138.html

《 反対運動ってものすごい反発や中傷を受けるわけで、「○○の反対運動やるならこれもやれるよね?」って簡単に言う人って、ほんと 「自分は絶対傷つきたくないから声上げないけど、もうやってる人ならできるよね?」って言ってるようなもので、ものすごく勝手だなあと思う。 》  小川たまか
 https://twitter.com/ogawatam/status/900607430811189248

《 ナボコフ『アーダ』の新訳が出るらしいので、『ドーダ』という本がないか検索したら、鹿島茂『ドーダ』三部作が出てきた。ドーダとは 東海林さだおの提唱するグランドセオリーで、人間の表現はすべて「ドーダ!」という自慢、自己愛の表出だとの観点で社会の事象を分析することらしい。 なるほど。 》 ストラングル・成田
 https://twitter.com/stranglenarita/status/900352609227218946